2014年12月1日

電飾にからみつかれて枯るるなり

『濹東綺譚』作後贅言にこう書いてある。

「銀座通に柳の苗木が植ゑつけられ、兩側の步道に朱骨の雪洞が造り花の間に連ねともされ、銀座の町が宛ら田舎芝居の仲の町の場と云ふやうな光景を呈し出したのは、次の年の四月ごろであつた。わたくしは銀座に立てられた朱骨のぼんぼりと、赤坂溜池の牛肉屋の欄干が朱で塗られてゐるのを目にして、都人の趣味のいかに低下し來つたかを知つた。」

「次の年」とは昭和七年のことである。わたくしは掲ぐる所の句のような風景をみて、荷風散人の如くに嘆くことはしないが、さりとて勧んでこれを愛でようとも思わない。ただ電飾によって一層枯れを深める木を見て、改めて年も暮れなんとしていることを思うのである。