2014年12月21日

対岸は川崎市なり枯芒

この頃気になっているのは「(~ということも)ある」という語(句)の用法である。「目が痛むのは本の読みすぎということもあるのかもしれない」等の文に見られるもので、物事の原因・理由・因子を推量し提示するものである。
また原因・理由として提示された事柄に対し肯定の意を表す時にもしばしば「ある」が用いられる。「あいつが休みだッてえのは仮病なんじゃないか」「それはあるね」等。
以上の用法は今に始まったことではなく、わたくしが神経症気味なだけかもしれないが、これについても意見を戴きたく私見を開陳する次第である。なお第一に挙げた用法は“どのように”「ある」のか曖昧な気がするので、わたくし個人はあまり使わず、単純に「目が痛むのは本の読みすぎなのかもしれない」と表現するが、固よりこの感覚を他人に強制する心算はない。