2016年8月7日

はだいろの凧(たこ)(ふ)き落(お)とす馬(むまの)かな

山本有三の「路傍の石」などを読んだのはどういう経緯だったか、そしてその内容がどのようなものだったか、もう忘れてしまった。しかし、唯一はっきりと覚えている箇所がある。それは、主人公の愛川吾一の家はかつて「相川」といったのだが、祖先が何かよんどころない状況に立ったために「愛川」と改めた、という記述のあったことである。さして大切でもないはずのこんな記述を覚えているのは、おそらく、所与のものとしてのみイメージしていた名字というものを、人の手で変えることができるということに驚いたためであろう。
だが、改めてこのくだりを思い起こしてみると、いまの僕は、そこまでして「相川」という名字に執着する人間のありようのほうに、つよく惹かれる思いがするのである。