2017年1月1日

立ち上がるときの悲しき巨人かな

詩人の思考の貧しさについて言えることは、詩的思考などというものの実体は、一部の抒情詩人たちが信じているほど確実なものではないということである。それは形式的な思想や、観念的な思惟方法に順応する諸性格に対しては一応対立しているように見えるが、私たちが想像するほど根源的なものでなく、前者は又容易に後者の思考形式に移向する不安定さをそれ自身の中に持っている。それは詩以外の世界にも存在するありふれた事実であって、かかる対立を詩人の特権と見ることは謬りであるばかりか、かなり滑稽である。詩の純粋性を説くものが殆んど唯一の拠点としている詩的思考なるものは大して信じるに足らない。  小野十三郎『詩論』1