2012年6月30日

白夜の青き眼それぞれに家がある

いよいよこの連載も最終日となった。タイトルを「スウェーデンの孤独」としただけあって、留学してから「孤独」ということを考え続けていた。僕は、1月に帰国して、その後留年して5年生になる予定である。初めに書いたとおり、やりたいことをすべてやりつくす、という信条のもとでは大学生活は4年では足りなかった。最後の1年は卒論をじっくりと書きたい。そこで浮上してくる問題は、あたかも浦島太郎のように、帰ってきたら、日本の友達や、先輩や後輩との関係が疎遠になってしまわないか、そうなってしまったら僕は5年目の学生生活をやりとげられるだろうか、という不安である。留学してからスカイプを使って連絡を取った知人は既に60人を超えている。現代文明を心底ありがたいと思っているが、同時に便利すぎる文明の利器に心を蝕まれていることは否定できない。友達と容易に連絡をとれるという事実に甘え、ついついツイッターやフェイスブックに依存してしまう。そんな自分を「このままではいけない」と思い、孤独と葛藤する毎日である。

それでも、この連載で書いたように、こちらに来てからの人やモノの出会いの中には僕が抱えきれないほど大きなものもたくさんあった。「世界マインド」を一生忘れず、善い生き方を試行錯誤して、これからも俳句を作っていきたい。

当たり前だが、孤独とは新しい環境にトライしているからこそ起こる感情である、ということをストックホルムの海沿いを歩いている時に思い立った。世界には、様々な孤独が存在する。

最後に、トリビアを一つ。北欧で見られる白夜について。夏至を過ぎ、現在ストックホルムでは0時まで空が明るいが、一晩中明るい現象が続くのは北スウェーデンでないと起こり得ない。スウェーデン人に「スウェーデンの悪いところは?」と聞くと、「冬は寒いし日が沈むし、夏は逆にいつまでたっても沈まないから気持ち悪い」という答えを何度か聞いた。もともと人間にはそれほど適さない、アンバランスな場所なのかもしれない。

翻って、人間自体もそもそもアンバランスなものだと考えた方が面白いのではないか、とも思う。たとえば、日本人は野菜をたっぷり取るから比較的健康だと言われるが、日本に留学経験のある友達は「日本人の女の子がいつも体重のことばかり気にしていて不気味だとも思った」とも言っている。逆に、僕から見れば自分の好きなものを好きな時に食べる外国人の友達もいた。そう思うと孤独な感情も、それくらいアンバランスなものだと自分の中で認められればいい。