2011年8月29日

秋の風一つ目小僧の村の丘

妖怪とは何か。

むろん、答えは単純ではない。

民俗学の祖、柳田国男は、妖怪は零落した神である、と定義した。たとえば一目小僧は山の神が信仰を失って化け物とされ、退治されたり道化者となったりした姿だという。柳田は山の神がしばしば一眼一足と語られることなどをあげつつ、神にささげる人の片目や片足をつぶす風習があり、それが神に選ばれた印と考えられるようになって予言や託宣をしていたのではないか、そうした力をもった人(神)を次第に「恐ろしい」として拒否するようになり、退治され笑われる「化け物」となった、と論じる。

地方によっては、一つ目小僧は山から下りて旧暦二月八日、十二月八日の夜に家を訪れるという。庭先に籠を吊しておくと魔よけになるともいい、こうした伝承は年が改まるごとに訪れる神の面影を残している。角川春樹氏の句はこの伝承に由来する。

ところが、狐や天狗は「妖怪」が「神」と祭られたケースで、柳田論とは逆である。このことから、信仰のあるなし、によって「妖怪」と「神」とを区分する考えもあるが、実際には「妖怪」的側面と「神」的側面は併存する場合が多く、一概にはいえない。また一つ目小僧なども、現代の漫画や黄表紙に登場するものはすっかり「山」とは無関係である。
民間伝承に語られない「妖怪」をふくめた議論は、専門家の間でもまだ始まったばかりだ。

参考.柳田国男『一目小僧その他』(角川書店、1954)、同『妖怪談義』(講談社学術文庫、1977)、小松和彦『憑霊信仰論』(講談社学術文庫、1994)