2013年10月31日

虫の夜『旅人かへらず』書架に古り

『旅人かへらず』(1947年)は、詩人西脇順三郎(1894~1982)の詩集。
168の短章からなる、郷愁と抒情に彩られた長篇詩である。
全体的に、東洋的というか、それこそ芭蕉の『奥の細道』の冒頭〈月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也〉をいくらか思い起こさせるところがある(西脇順三郎には、芭蕉に関する評論も存在する)。

旅人は待てよ
このかすかな泉に
舌を濡らす前に
考へよ人生の旅人
汝もまた岩間からしみ出た
水霊にすぎない

これが「旅人かへらず」の冒頭部となる。
この後、作者の「記憶のかけら」とでもいうべき内容が、季節の移り変わりと様々な人々を交えて、まるで「こまぎれ」のように多様なかたちで延々と叙述されてゆく。

そして、終盤近くには、

無限の過去の或時に始まり
無限の未来の或時に終る
人命の旅
この世のあらゆる瞬間も
永劫の時間の一部分
草の実の一粒も
永劫の空間の一部分
有限の存在は無限の存在の一部分

という存在と時間について考察した詩句が現れる。

この部分のみならず、「旅人かへらず」における特徴のひとつとして、「日常的な世界」から、時として「悠久の時空」にまで作品内容が遠心的に拡張される点が挙げられよう。
そもそもよく考えてみれば、「普段の世界」と、このような「長大なスケールの世界」とは、本来的には「地続き」のものなのである。
それこそ、この世界に対する認識を掘り下げてゆくと、自ずとこういった位相にまで到達する、ということであるのかもしれない。
このような「日常的な世界」に対する明敏な意識と、さらにそれを包含する「悠久」の果てしのない広がりを把握・認識することができる感性。
おそらく、それらを詩作品として高次の水準で形象化させることができたゆえに、西脇順三郎は非凡な詩人であったのであろう。

そして、最終部は次のように結ばれる。

永劫の根に触れ
(略)
幻影の人は去る
永劫の旅人は帰らず

現在から60年以上も前に書かれた作品でありながら、この現在に読んでも、さほど異和感をおぼえないのは(ややクラシカルな部分もあるとはいえ)、やはり作品の内に「変わらないもの」が多分に包摂されているゆえなのであろう。
ともあれ、この作品を読んでいると、まるで「ひとつの理想郷」を逍遥しているような感覚をおぼえるところがある。

書架の前にて、ふと我に返った。
現在は、2013年10月の終り。
どうやらこの連載も、そろそろ終了を迎える時がきたようである。

今回の連載については、なるべく自らの問題意識と関連性のあるテーマを有した本を取り上げるように心掛けた(中にはそうではないものもありますが)。
それらへの考察を通して、自らの意識の内に存在する様々なテーマに、なにかしらの光を投げかけ、少しでもその本質を露礁(ろしょう)させることができれば、という意図があったのであるが、なかなか思うように進捗をみることは難しかったようである。
これらの課題については、当然ながら、今後に持ち越しということになる。
ともあれ、これからも、自分なりにゆっくりと思索や考察を続けてゆくことにしたい。

ということで、今回の連載については、これにて一旦終了となります。
ここまでお読みいただきまして、ありがとうございました。