2013年10月30日

秋夜配信俳句講座は俳聖を

松尾芭蕉(1644~1694)は、当然のことながら、いわずと知れた日本を代表する俳諧師。
現在まで、これほど語られてきた俳人の存在も珍しいであろう。

俳句について長く考えていると、やはり段々と芭蕉の存在を無視できなくなってくるようである(だからといって、必ずしも全面的に汲みしたいというわけではないが)。
なぜ芭蕉の言葉は、現在に至るまで有効性を保持している部分があるのか。
やや別の言い方をするならば、なぜこの現在においても、その言葉は生きているのか。

もしかしたら、その理由は、この世界そのものに対する「認識の深さ」と関係があるのかもしれない。
おそらく、芭蕉は、様々な物事における根本的な部分を、きわめて深い位相において確と把持していたのであろう。
芭蕉は、自らの死後における読者をも想定して句や文章を書いていたとさえいわれるが、こういったことが可能であったのは、やはり「物事の流れ」というものを極めて正確に見定めることができたゆえ、ということになるはずである。
「不易流行」という言葉(理念)の存在も、またそのことを裏書きしているように思える。

もし芭蕉がこの現代に生きていれば、一体どのような句を成していたであろうか。