臨月や冬の虹すら美味しさう   江渡華子

臨月で大きくなったお腹を抱えながら、お散歩でもしていたのだろう。冬空に架かった虹を見て「あっ、きれい」ではなく、思わず「美味しそう」と思ってしまったあたりが、なんとも愛らしくて微笑ましい。
いや、「冬の虹すら」なのだから食欲があってあってしょうがないのだ。愛らしいというより、逞しい句というべきか。
虹が美味しそう、なんて今までこんなに素直に詠まれたことはなかったのでは、と思うと、この感覚はやはり愛らしいなと思う。それに「臨月や」という詠みいだしも、なかなかに大胆だ。一句の内容が理屈で終わらず、感覚として言葉そのものが響きあっているところが軽やかでとてもいいのである。