蘖や塩粒さやにビスケット   野口る理

 ここまで作品を読んできて、『しやりり』は、実のところ、「わたし」という意識を通して、言葉によって風景に〝本質〟を授けようと試みたのではなく、寧ろ、言葉によって〝本質〟を与えることで、「わたし」の位置を定め、「わたし」が逆照射されているような句集なのではと思った。

(スピカ「咲かせまい」2016-4)より。