春の雨ピーナツの殻箸置に   大木あまり

食事の皿のひとつに、ピーナツが盛られている。割って中身を食べたピーナツの殻を、卓において、戯れに箸置きに使ってみた。そんなかわいげのみえる句だ。何かを箸置きにすること自体は、飲み会やホームパーティーの席上でしばしばあることだが、「ピーナツ」を箸置きにするとは、結構、意外性がある。たしかに、あのきゅっとくびれている部分に、箸先をちょんと載せたら、さまになるだろう。「春の雨」の湿度が、ピーナツのカリっとした食感や、殻の乾いた感じと、絶妙に引き合っているところも好きだ。

「ふらんす堂通信」128号(ふらんす堂)に掲載された、第62回読売文学賞受賞を受けての、新作10句より。添えられたエッセイによると、読売文学賞受賞の一報を受けた日、あまりさんは、麻婆茄子を作っていたところだったそうだ。受賞式の日を、記念に「麻婆茄子の日」と決めたというあまりさん。ロマンティックな句を本領とする人には珍しく、芯が通っていてタフな句を作る人だが、その幅の広さは、麻婆茄子という庶民的な食べ物もいとおしむ、そんな心向きに由来しているのかもしれない。私は、「サラダ記念日」よりも、「麻婆茄子の日」のほうが、くつろげるな。

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