墓と風の組み合わせは、一時期流行った歌「千の風になって」を連想する。けれども、大きな違いとして、その歌は、作者が死んだあとのことを、生前誰かに話しているものだが、この句は、死後、墓に入ってからの目線で詠まれている。お参りに来てくれたのが、誰かわからない。私はきっと、それは顔もみたことのない子孫なのではと思う。それは、それほどまでに長い間、作者が墓にとどまっていることを表す。どのような思いでこの世に残っているのかはわからないが、季語が秋の風であることにより、そこには残っている意味などよりも、単純に強い孤独だけが残されているように感じる。
句集『野見山朱鳥句集』(1992年 ふらんす堂)より。