西瓜食ふまだ机なき兄妹  小川軽舟

机というのは、小学校にあがるまで必要のないもので、兄弟が就学未満の幼いふたりだということがわかる。ちゃぶ台でも、ダイニングテーブルでもよい。二人そろって西瓜を食べる姿がなんとも微笑ましい。「まだ」とすることで、いずれ机が買い与えられるのだろう。机は、自分の城でテリトリーだ。いずれはふたりともそれぞれの世界をもち、共有することが少なくなるだろう。しかし、西瓜が甘く美味しいことで、いずれ訪れるさみしさなどは、訪れてから考えればいいじゃんという、楽観的な思いへと導いてくれる。

句集『手帖』(平成20年 精興社)より