ほととぎす佛の微笑朽ちにけり  綾部仁喜

微笑したまま朽ちてゆくとはっきり述べているところに、わかりやすい批評を読み取りたくなるところに、「ほととぎす」という季語を置いたことで、さらに複雑な一句となった。

彫られた佛は微笑したまま時を経て朽ちてゆく。今年もまたほととぎすが鳴く。その声から遠く暗く置かれた小さな闇の中に、仏像は在る。いきいきとした夏の青葉と、朽ちてゆく佛の対比を効かせつつ、それもまた世の定めだと大人らしく頷きたくなるのは、ほととぎすという季語がはらむ歴史的な厚みゆえだろうか。「ほととぎす」「ほとけ」の「ほと」の頭韻が、句のリズムをつくっている。

藤本美和子著『綾部仁喜の百句』(ふらんす堂 2014年10月)より。
掲句の鑑賞は「「ほととぎす」の声が一句の隅々に浸透しているのは切字「けり」の力である」とまとめられているが、句末の切れについての鋭く的確な指摘だ。せき止めることは、満たすことでもあるわけだ。