もう去らぬ女となりて葱刻む  高柳克弘

朝食のみそ汁用なのだろうか。「もう」とすることで、以前去ることがあったのだろうと予想できる。ようやく、自分のものだと確信できたのだろう。この女は自分のものだと感じるのは、1日の中で言うと、朝なのだろうなと思う。前日を共にすごし、これからも過ごしてゆく。葱というのは、そういった日常の普遍性をとても象徴している。葱は葱ひとつだけで料理になることは珍しく、大概何かと組み合わされて料理となっている。葱の順応性や寛容性を、目の前の女性にも求めているようであり、その許容の多さに少し不安にもなることが、「もう」で全て描かれていて面白い。

『俳句α 2015年2・3月号』(毎日新聞社)より。