父親に人見知りして天の川 江渡華子

子育て俳句はどちらかというと、身の回りの穏やかな風景と結び付いて微笑ましく詠われるものが多いけれど、作者の捉えるその風景はちょっとそのスケールが大きい。赤子が泣いてどうしようもないときに「どうせなら月まで届くやうに泣け」と思ってしまうその感覚は、作者の生来のスケールの大きさと結びついているようだ。
父親に人見知りする我が子。父は仕事で忙しいのだろう。たまに見る父親の姿に人見知りしているのだが、そんな何気ない風景に「天の川」が配されるとたちまち日常のひとこまを離れて、父と子という存在の間を流れている目に見えぬ隔たりというものを思う。いとおしくて切ない隔たり。それは父親という存在の切なさをも思わせて、胸に響いてくるのである。