鶺鴒に元日の畝ありにけり  山尾玉藻

清潔な気の満ちた句。
畝に来ている鶺鴒。崖や野ではなく、人の手の入った畑の「畝」であるところがミソ。いつもは人のいる畑も、元日はがらんとしているから、ふだんと違うおごそかな気配が満ちていることに、心が反応するのだ。人の気配がありつつも、ここには鶺鴒と天地のみ。のびのびと畝をつつく鶺鴒に、気分がひろびろとしてくる。

第四句集『人の香』(角川書店 2015年12月)より。