式終えて薔薇の湯舟に向かい合う  神野紗希

(スピカ「中庭」2015-7)

舟は舟でも、これは湯舟である。紗希さんは「船」より「舟」の方が好きなようだ。新婚初夜の句と言えば、草城の連作「ミヤコホテル」があるが、婚前交渉当たり前の平成の世においては、この句の主題は、エロティシズムというより「式終えて」という充足感にあるように思う。
「どこへでも湯舟は行ける年を越す 池田澄子」(『俳句』角川学芸出版2015年1月号)は、忙しくても心を解放できる場所として湯舟があって、どこへでも行ける心地が本当によくわかる。
『光まみれの蜂』にも、風呂を詠んだもので「春愁や葉書もバスタブも四角」があるが、こっちは四角という幾何学的な形状に還元している。対して、取り上げた句の「薔薇の湯舟」は、有機的で浮世離れしていて楽しい。
湯舟で向き合うふたりの句には、「柚子風呂の君には柚子の集まりぬ 玉城涼」(『大人になるまでに読みたい15歳の短歌・俳句・川柳① 愛と恋』ゆまに書房2016-1)がある。句の主体が、やたらめったら動くもんだから、「君」に柚子が集まるのだろう。
井の頭公園でボートを漕ぎ合う初々しいカップルを見ていると、これが社会の縮図であればどんなに幸せな世の中であろうかと思う。湯舟に「向かい合う」ふたりは、本当にどこにでも行けると思う。