この春の曙のことはもう言うまい   宇多喜代子

 

「この春の曙」とは、作者にとって、どんなものだったのだろう。一人で迎えた、素晴らしい時間なのであれば、「もう言うまい」は、死ぬまで一人の胸の内に、大切に残しておきたい風景を、私は見つけた、というニュアンスになる。逆に、辛い春の曙であるなら、「もう言うまい」は、後ろ髪ひかれながらも、前へと進みたいという切実な思いの表れとなる。私は、どちらかというと前者のニュアンスでとったけれど、どちらでもいい。「もう言うまい」という、ぽつりとつぶやかれた言葉の重さに、胸打たれたからだ。

「草樹」33号(2011年5・6月号)作品欄より。

「言うまい」と、しかし、言うこと。俳句は言い過ぎてはいけない、抑制の文学だ、というけれど、十七文字に気持ちなり景色なりモチーフなりをおさめる時点で、すでに相当の抑制だ。その十七文字の中で、存分に、奔放にものを言っても、私はかまわないと思っている。そもそも、言い過ぎか、言い過ぎでないか、誰が判断するのだろう。伝わること。すべてはその過程にすぎない。

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