水草の枯れて側転するこども 松井真吾

水草と、子どもの側転と、関係なくない?
というシュールさ。
「て」でゆるく接続されながら、まあそれはそれとして、と側転するこどもへと移ってゆく重心の、不条理が心地よい。

「週刊俳句」第554号(2017年12月3日)より。