セーターすかすか脱ぐとき部屋の見ゆるかな  藤田哲史

網目の荒いセーターだろう。しかも、脱ぐときはちょっと引っ張るので、よけい、目の荒さが際立つ。「すかすか」という言葉に、セーターを脱いだとき体感される寒さが潜んでいる。見えるものにしても「部屋」というのは、なかなか漠然としていて、そのときの意識のありよう(ぼーっとしているのだろう)がうかがえる。卓上にある何かであるとか、本棚の本であるとかを名指すのではなく、「部屋」。でもたしかに、あの、セーター越しに一瞬見えるのは、「部屋」なのである。

昨日に引き続き、「傘karakasa」vol.2から引いた。同じ作者の「苺ありプリングルスの筒もあり」も、たわいない卓上が思われて、好きだ。

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