鵙の贄あをぞら雲におかさるる  山口優夢

「あをぞら雲におかさるる」という見立てが面白い。鵙によって枝に串刺しされた蛙かなにかと、雲に浸食されてゆく青空。ともに「おかさるる」ものとして、いまこのときをたしかに存在しているという実存感。なんでもない、雲が青空をながれてゆく自然の風景を、「鵙の贄」を配し、「おかさるる」と表現したことで、自然のくるしさ、切迫感が切りだされてきた。その切迫感も、また秋のもの。

「ユリイカ」2011年10月号より。

しかし、ちょっと優夢の俳句にも言いたいところが。この10句作品の末尾「僕だけが君を泣かせられる 石榴」や、先日「週刊俳句」235号に発表された「海」10句作品のうち「でも僕が逃げても逃げなくても月夜」などは、やめたらいいのに。口語を使って、発想も平凡となると、J-POPの歌詞の断片のようになって恥ずかしい。しかも書かれている「僕」が、ちょっと古い。90年代にはやったアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」のよわよわしい主人公、碇シンジみたいだ。世界の価値観をあとからなぞっていくのではなく、つくっていくくらいでいてほしい。とくに、文語に比べて技術上の異化作用の機会が少ない口語では、やはりある程度、内容で勝負するしかないようだ。