母の死や皺の冬着の我が前に  永田耕衣

句集『驢鳴集』に収められている句は、昭和22年~昭和26年のもので、耕衣の妻の母が昭和21年の春に亡くなっている。そのためか、「母の死や」が上五となっている句が多数見受けられる。
「母の死や」で切れているから、我が前にあるのは、「の」で切れている皺の冬着なのだろう。その皺の冬着は、母が着るものだったのかもしれない。故人のものを目の前にして、故人を思うということは、よくあることで、俗っぽい。けれども、この俗を表現するための道具が「皺の冬着」ということで、引っ張りだしたてである箪笥の匂いなども見えてきて、好きだなぁと思う。

『永田耕衣俳句集成 而今』(沖積舎 昭和61年)より。