椿象は来るはパソコンは鈍いは  大石悦子

「椿象」に(かめむし)、「鈍」に(のろ)とルビ。「椿象(かめむし)は来るはパソコンは鈍(のろ)いは」。
ちょっと古いパソコンで、調子が悪いんだろう。起動や読みこみが遅くて、なんとなく手持無沙汰で待っているときに、やはりのろのろと、カメムシがやってきた。「あーあ、かめむしは来るわ、パソコンはのろいわ」という呟きが、俳句になった。
文体のユニークさはもちろん、「椿象」の表記も面白い。「亀虫」とか「かめむし」と書いたのでは全然ダメで、「椿象」と書くから、この句は魅力的になる。漢字のイメージから象ほどの存在感がカメムシに与えられるし、「椿象」といわれると、ちょっと不思議な使者のような感じも、しないでもない。

「俳句」(角川学芸出版)2012年2月号、特別作品21句「冬椿」より。

くわりんの実生首提げてゐるやうな
三日来ぬ梟よ吾も三日老い
女正月鯛の眼窩を執念(しふね)く吸ひ

雑誌にその人の俳句が載っていると、買って読むようにしている作家が何人かいて、大石悦子さんはその一人。理由は、単純に好きだから、というのがひとつ。立ち読みで済ませられるような手軽な句じゃない、というところがひとつ。
わたしは、虚のまじりあった現実をリアルに生きている感覚、というのが、彼女の特徴だと思っている。日本の古典文学を思わせるのは、彼女の用いる語彙だけでなく、そのへんの感覚にも由来するような気がする。