昨今の花火大会の会場では、プログラムが配られたり、進行のアナウンスがあったりして、最後の花火というのは大体察しがつくから、この句は、やや離れた場所から花火を眺めた時のものだろう。
特に数の多い連発か特大の一発が夜空に消えた。これで最後だろうなと思いながら、「すこし待って」みる。もう花火の上がる気配はない。「やはりさっきの……」と、こういう感じ方は多くの人に経験があるだろう。しかし誰もたいして気にも止めない。はじめてこの句を見た時、私は虚を衝かれた思いだった。
「すこし待って」のあとにはわずかな間がある。しばらくの間、遠い夜空を注視している時の静かな息づかいがそこには感じられる。一転して中七下五では言葉がだらだらと連なるが、それもひとつの効果を上げており、やっぱり思った通りだったのねと合点がいってふっと気持ちがゆるんだ感じが出ている。
日常生活のなかの素朴な実感、それをさっと掬い取った普段づかいの生きた言葉。この句は、作者の口語俳句のひとつの成果であろう。