「ばたばたたたまれてゆく」といったとき、ある家のひとつの夕刊だけではなく、それぞれの家の夕刊がつぎつぎにたたまれていく様子が想起される。それは一人の人間が現実に目撃できるのものではないけれど、一句の世界の上では、たしかに次々とたたまれてゆく夕刊がフラッシュバックの映像のようにたちあがってくるのである。
昭和十年作だから、第二次世界大戦へと傾いてゆく日本の情勢を憂慮した句なのだが、たとえば原発報道ひとつとっても、現在の日本においても切実な響きをもって迫ってくる俳句だ。
古沢太穂編『栗林一石路句集』(新日本出版社・1978年)より。プロレタリア俳句の旗手として活躍し、すぐれた自由律俳句を多く残した。いま、ほとんどその名前を聞かないのが不思議なほどに、彼の句は魅力的だ。
ひなげしひるは学校にいる子
ついにたうべず逝きしままの林檎枕辺
シャツ雑草にぶっかけておく
うずくまりほたる売
淋しさめが君のさびしさにあいたがっている
妻よ抱かれてふるさとの山へ帰ろうよ
妻の遺骨を網棚におきねむたくなる
掲句を作った五年後には治安維持法違反の容疑で特高に検挙されることになるのだが(いわゆる俳句弾圧事件)、すでにその予兆がある。次の句は、検挙された日のことを詠んだ一句。
けもののごとくきてがさがさと冬の部屋をさがす