2011年6月23日

政治にも鹿にも口を出す女
 
「季語」という言い方と「季題」という言い方がある。
  
それぞれの言葉に厳密な定義を与えるのは難しいが、
個人的な印象だと「季題」の方が、
重く、古めかしく、大切にされてきた言葉という印象がある。
 
そういう意味で「鹿」は限りなく季題に近い。
 
古くは「万葉集」に
  
夕されば小倉の山に鳴く鹿は今夜は鳴かず寐ねにけらしも     舒明天皇
  
の歌があり、「古今集」巻四の秋上には、
  
奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞く時ぞ秋はかなしき     猿丸大夫
  
という歌が見受けられる。
  
秋の侘びしさ・寂しさの象徴として、
長らく鹿は詩歌の作品の中に現れてきた。
  
人間のこころは右往左往して、
表現のこころはとどまることなく流れ、
しかし、われわれの鹿はそこに静かに立ち尽くしているばかりだ。
  
  
以下、鹿の登場する句をいくつか。
  
真夜中の鹿ほとばしる蛇口かな     五島高資
遠鹿にさらに遠くに鹿のをり     後藤夜半
撃たれたる鹿青年の顔を持つ     小室善弘
転生を信ずるなれば鹿などよし     斎藤空華
雄鹿の前吾もあらあらしき息す     橋本多佳子
夏めくとひそかなものに鹿の脚     長谷川櫂
かたはらに鹿の来てゐるわらび餅     日野草城
行く秋をすつくと鹿の立ちにけり     正岡子規

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