【7】眼底に残る朝顔滲みたり     小林政利

山崎美穂編・宇多喜代子句評『点字俳句通信』(東方出版、一九九六)の一句。「あとがき」によれば編者の山崎は六〇歳を過ぎてから点字を学び、俳句歳時記を点訳したことがきっかけで「点字俳句通信教室」を開くようになったという。本書はその通信教室の成果をまとめたものである。七名の投句者の作品が宇多喜代子の句評や山崎の短文を添えて掲載されている。山崎自身も「獅林」「琴座」に所属した経歴を持ち句集も出版しているが、この教室の先生はあくまでも宇多で、山崎は投句者と宇多を繋ぐパイプ役に徹している。一人毎月五句と定め、山崎のもとへ送られてくる点字の句を山崎が墨字(一般文字)に直して宇多に送り、宇多からの句評を今度は点字に直して投句者に送るというシステムであるらしい。

投句者がみな目が不自由であるにもかかわらず、同書に視覚的な印象を詠んだ句が散見されるのはすこし不思議な印象がある。たとえば投句者の一人、伊藤一川には「春野菜夕餉の膳に色を添え」という句があるが、この句について宇多と山崎は次のように述べている。

「鮮やかな句。春野菜は香りがつよいですから色とともに香りが感じられます」

私の一人言。夕餉の膳に色を添えなんて、目の不自由な人の句とは思えないよ。春野菜の香りで感じられたのかと。先生の評を見ても、俳句はよく見て作れ、なんて教えられたけど見えなくてもこんなに作れる。よく見ろというのは心のことだったんだなとカマトトぶっていた。

この種の感銘を、宇多は「まえがき」で「皆さんは実にはっきりと感性の目で何もかもをよく見ておられます」と書き、また別の句評でも同様のことを書いている。「早春の草々の色風にゆれ」(巌美代子)の句評とそこに添えられた山崎の文章を挙げてみよう。

「これも、とてもいい句です。きっと野原一面に吹いてゆく春の風が巌さんの頭の中をも吹きぬけていったのだろうと思います」

私は見えない鳥や川や草々へ、こんなに愛しく思える感性にただおどろき感動した。先生の評を読むまでは、ただ何故?、何故見えるの?と理由の解らない一人言を言っていた。

巌の営みが美しいとすれば、「草々の色」が彼女に色が見えたからではなくて、「草々の色」と彼女が詠むことで、彼女にはたしかに色が見えていたのだと、彼女自身や僕たちが記憶できるためではないだろうか。換言すれば、彼女が宇多のいう「感性の目」で見ているということが美しいのではなくて、僕たちが彼女の句を読むことでたしかに彼女は「感性の目」で見ていたのだとその都度想起していくという、その交感こそが美しいのではないか。「きっと野原一面に吹いてゆく春の風が巌さんの頭の中をも吹きぬけていったのだろうと思います」という宇多の評は、そのようにして引き出されたものであったろう。それは、見方を変えれば彼女の人生にむやみに踏み込んでいくような読みかたであるような気もする。しかし読むということがもつそうした不道徳性を排除して読むのならば、そのような読みにおいてもなお読み手に感銘を与えうるほどの強さをこの句は持っていないだろうから、結局その読み手にとっては巌の句などなかったことになると思う。でもそれはどこまで誠実な読みなのだろう。

さて、その一方でそうした「感性の目」に違和感を抱きつつ句を詠む者もいる。「昭和二十二年生まれの中年男性」である小林政利には「くすだまのはじけて咲きし百日紅」という句があるが、この句について山崎は「見えないのにどうしてこんな句が作れるの……小林さんは十二歳の時失明されたということだが、記憶だけで見事に百日紅を咲かせた句に脱帽」と書いている。小林は失明するまでは左目だけ〇.一の視力をもっていたという。小林は自らの句作について次のように書いている。

私は水平線を見たことがありません。海岸に立っても茫々とかすんだ視界が広がるばかりで、海とは変なものだと幼い頃思ったものです。でも近くのものははっきり見えます。近眼と同じです。目にしみるような野菊の紫、雨の中に咲く露草の鮮やかな青、今でもはっきり覚えています。

でもそれは記憶の奥深いところにしまわれていて、イメージとしてやきついているにすぎません。眼の中によみがえらせようとすると滲んでしまいます。子どもの顔にやきつけた風景や色の記憶はその後、詩歌や小説を読むときに大いに役にたちました。ところが自分が俳句を作るだんになると役にちません。俳句の基本は写生です。見えていない色や、風景を読めば、それは嘘になります。耳に聞こえるものや肌に感じるものをとらえて句にするしかありません。題材はおのずから制限されます。今のままでは何時かゆきづまってしまう……そんな思いにとりつかれているこのごろです。十年二十年続けられるか否かはこの壁を破れるか否かにかかっています。

小林には「眼底に残る朝顔滲みたり」の句もある。小林は「俳句の基本は写生です。見えていない色や、風景を詠めば、それは嘘になります」といい、そこに自らの「壁」を感じているようだ。「身の廻りのことがら」を詠むことに違和感を抱く小林には、見えるものは同時に滲んでいくものであった。そのような小林を前にしたとき、宇多の「皆さんは実にはっきりと感性の目で何もかもをよく見ておられます」という言葉は―きわめて適切な言葉であると同時に―僕にはすこし残酷なものであるように思われる。小林はまた次のようにも述べている。

視力に障害のある者はどうしても身の廻りのことがらを句材にえらんでしまいますが(それはそれで一向にかまわないと思いますが)、何故か私はそういう心境になれません。生活の匂いのする句を作っても〝できた〟という実感がないのです。たぶんそこには感覚的なひらめきがないからでしょう。いえ本当のことを言えば未熟さのゆえ、ひらめきをよみこむ力が無いのだと思います。

宇多のいう「感性の目で何もかもをよく見」るとは、彼らの方法論について指摘した言葉ではあるまい。それは彼らが生きていくなかで選びとった姿勢のひとつのことであったろう。しかし小林は小林なりの「感性の目」を滲ませながら、「何故か私はそういう心境になれません」というのである。小林自身はその原因を「ひらめきをよみこむ力」のない自分の「未熟さ」に見ているが、しかしたとえば「眼底に残る朝顔滲みたり」と詠んだのは、「未熟さ」ゆえにそのようにしか詠めなかったからではあるまい。むしろそのように詠むことを小林が選んだからではなかったか。

思えば、これは小林だけの話ではないのだ。それがたとえ作家的後退や停滞を促すものであるという自覚を伴うものであったとしてもそれを捨ててしまうならばそもそも書くという行為が嘘になってしまうような、そういう局面で書くということはおそらく僕たちにもある。