【28】塗る畦やまた辷り来る鳥の影     内山雨海

内山雨海『俳句の書き方』(大新社、一九四二)の一句。本書は俳句の揮毫方法を説いたものである。著者の雨海は書家、水墨画家として知られた人物。浦上玉堂に私淑し、一九三八年に行った棟方志功、小泉繁との三人展で下村為山に認められ、以後水墨画の指導を受けた。戦後は東京美術院、濹人社を設立して、書画一致をめざし後進を指導した。本書巻末の略歴には「俳句、短歌、漢詩を極め自ら此の雑誌の主宰たりしことあり、後、書道及び書道に精進し、現に立教大学講師をはじめ、学校、官衙等に書道を教へ、現書道界に重きを為す」とあって、俳句にも造詣の深い人物であったようだ。
雨海は「俳句は調和体である」と述べる。調和体は、漢字とかなを調和させた書のことだが、雨海は俳句揮毫の際にはこの調和体で書くことを前提としている。

申すまでもなく俳句の字句は、もうこれ以上どうにもならぬといふ、きりきり(ママ)の点まで切りつめられた選択文字の集合であり、一言一句ゆるがせには出来ず、句中どうしても漢字を用ひねばならぬ場合があり、又どうしても仮字(片仮名と草仮名)でなければならぬといふ場合もある。

雨海はこのように述べる一方で、和歌については漢字・かなを入れ替えても差し支えないとしている。すなわち、「現に長歌を半折などにちらし書きする場合、つとめて漢字を仮字に書き改めて用ひねば、その妙味をほしいまゝに発揮することが出来ぬとするのは書道家の常に採択してをる方法である」。
また雨海は、俳句に限らず文章や詩歌の揮毫においては文字全体に一連の移行がきわめて自然に流れていなければいけないとしているが、興味深いのは「途中で筆先の墨が枯れてしまふ結果から不可能なる場合が多い」ために、俳句を一筆で書きあげるためには熟練した腕が必要であり、したがって実際には「如何なる場所で墨をついだら良いかといふ『墨続法』の問題になる」と述べている点である。

   夜のとばり富麗が黒き枯野にて
 の一句を揮毫するとして、上五句「夜のとばり」は一つの語を成している以上一筆にて書かなければ風情をこわす事となり、中七句の中、「富麗」が一語であり「黒き」が一語である以上、これらは何れも一筆で書かねばならないのである。下五句「枯野にて」はやはり一語を形成する以上是非共一筆書きを必要とする。

つまり、原則として一語を形成している部分については一筆で書かねばならないということだが、これはあくまで原則であって、実際には「風情」の表現が最も重要なのである。雨海によれば「風情」とは「情緒」や「趣味的なる好みによる一つの結果」のことであって、句意と一致した「風情」を揮毫によって表現しなければならないと述べている。いずれにしても、揮毫の際には句意に即してどこで墨をつぐべきかという問題が否応なしに生じてくるわけで、これは見方を変えれば、俳句の表記法についての議論があくまで活字による俳句の流通を前提としたものにすぎないということを示唆していて興味深い。
また、雨海は「墨続法」の説明において「こはいかにあきれはてたり秋の果」(西武)が「こはいかにあきれはてたり」「秋の果」というふうに一度墨をつぎ、「寝覚うれし枕もきけよ郭公」(田代松意)が「寝覚うれし」「枕もきけよ」「郭公」のように二度墨をついでいる例を引いている。墨をつぐ機会をどこに設けるかという問題は「風情」だけではなく、「陰陽」の表現にも関係している。「陰陽」とは「墨色の重い部分と軽い部分」あるいは「筆勢遅い部分(陰)との迅い部分(陽)」のことで、この引用の表現が調和体においては重要な要素なのだという。実際、「秋の果」は「秋」の前で墨をつぐことで墨色を重くし、後者においても「枕」「郭」の手前で墨をつぐことで墨色に変化をつけているのである。ただ、どの部分に「陰」と「陽」を形成するかはあくまでも自由であって、たとえば「凍鶴の羽根よごしたるみぞれかな」の場合は「凍鶴の」を「陰」とし「よごしたるみぞれかな」を「陽」とすることもできるし、「凍鶴の羽根」を「陽」とし「よごしたる」を「陰」として「みぞれかな」でふたたび「陽」にもどることもできるという。こうした「陰陽」の形成は、「風情」の表現とともに、揮毫によって俳句の読みをどのように斡旋していくのかという問題とも関わっていて、ここにも活字文化とは異なる場所でやりとりされる俳句のありようがうかがえる。
ところで、先の「凍鶴の羽根よごしたるみぞれかな」において、雨海は「凍鶴の羽根」と「みぞれかな」を「陽」とする例を引いていたが、これはあくまでもこの句を「凍鶴の羽根よごしたる」と「みぞれかな」の二行に分けて書くことを雨海が前提としているためにありうる陰陽の表現なのである。二行書きの場合「凍鶴の羽根」と「みぞれかな」が上方に配置され、「よごしたる」が下方に配されることになる。つまり雨海がここで提示していたのは紙面の上方に「陽」を、下方に「陰」を配置することを意識した表現なのである。こうした「陰陽」の表現はまた、余白の表現をいかに行うかという問題とも関わっている。すなわち、「よごしたる」の左側には一行分の余白が設けられているのであって、この余白がこの句における「陰」と「陽」のバランスの形成や「風情」の表現において重要な役割を果しているのである。実際、本書においては短冊、色紙、扇面、団扇、半折、額面それぞれの場合における俳句の書法を解説しているが、最も力点のおかれているのはこの余白の表現についての説明なのである。
たとえば短冊の書き方において、雨海は上、下、左、右のそれぞれに余白を設けた場合を説明しているが、下方と右方については古人による例が少ないとしながらも、下方に余白を設ける方法については「研究すればするほど下方の余白を生かすことのおもしろさを著者は感ずるものである」と述べ、いくつかの例を挙げている。

   避暑宿の夜黍は秋や風の音
この句は「夜黍は秋や」を枯れ筆にて楚々たる句感を表現し、「風の音」にて風の声をきかせるべく下方の余白に対して意味あらしめた。

   鶴ないて夜明沼原水の秋
に於いても「鶴ないて夜明沼原」の揮毫表現にて昧爽の平らかなる沼の気分を現はし「水の秋」にて稍々右方にまげて下方から左方にかけての余白に求めて、秋の深いさびしさを盛らんと苦心したのである。

こうした余白の表現はまた、改行を伴うものでもある。たとえば「塗る畦やまた辷り来る鳥の影」を雨海は「塗る畦や」「また辷り来る」「鳥の影」の三行に分けて書いているが、「のどかなる句意は三行に文字的表現をさせる」としたうえで、「上下の余白が物を云つてゐる」と述べている。この句は短冊に書かれているが、上下に極端に設けられた余白が横に広がった表記とあいまって「のどかなる句意」を表現しているということであろう。いわゆる多行形式が改行による切れの創出やイメージの飛躍を意図していたのに対し、雨海のいうこうした揮毫上の改行は「風情」や「陰陽」の形成、余白の表現を意図したものであり、したがって、たとえば「橇のゆくへ見えぬかに野は吹雪けり」を「橇の」「ゆくへ」「見えぬかに」「野は」「吹雪」「けり」に分け、さらに「橇の」「ゆくへ」「見えぬかに」を色紙の上方に、残りを下方に散らして書くといった書法と地続きのものである。興味深いのは「塗る畦やまた辷り来る鳥の影」にせよ「橇のゆくへ見えぬかに野は吹雪けり」にせよ、雨海は活字で表現する際にはあくまでも一行書きを用いており、それらを揮毫する際にさまざまに表現している点で、逆に言えば、多行形式は常に同じ表記で読者の前に提示されるということを前提とした方法であることだろう。とすれば、たとえば高柳重信が多行形式による自句を揮毫した色紙などは、多行形式を可能にした条件を自ら破棄したものであるともいえる。いってみれば、色紙に書かれた多行形式の俳句と、句集に記載された多行形式の俳句とでは、自ずと読みが変わってくるはずなのである。