【31】鯊焼くや深川はまだ昼の月     盛川宏

盛川宏『釣魚礼讃』(中公文庫、一九九七)の一句。釣り雑誌『つり丸』初代編集長でもあった盛川はジャーナリストとして釣りにまつわる多くのエッセイを残しているが、俳句を嗜んでいたためか、その著書にはしばしば俳句が登場する。春夏秋冬のさまざまな魚の釣りかたと料理法を俳句をまじえて解説した『釣魚歳時記』(文春文庫、一九九八)はその最たるものであろうが、ここでは『釣魚礼讃』をとりあげてみたい。

考えてみれば、歳時記には各季の季語としてさまざまな魚が収録されているわけで、魚の句が多ければ、それだけ釣りの句も多いはずなのである。試みに手元の『合本俳句歳時記』(第四版、角川学芸出版、二〇〇八)をひもとくと次のような句に行き当たる。

湖やもろこ釣る日の薄曇り                       正岡子規
釣りあげし小鮎の光手につつむ                     下村非文
子持鯊釣れをる河口昼の月                       鈴木雹吉
ちぬ釣りの月光竿をつたひくる                     米澤吾亦紅

鈴木雹吉の句は『釣魚礼讃』でもとりあげられていて、盛川は「優雅なハゼ釣りを見事に描破している」と評している。この他に、釣り自体が季語となっている場合もある。魚が寄る岩礁や海底の州を狙う「根釣」、大衆的な釣りとして知られる「鯊釣」、寒中の「穴釣」(寒釣)などである。

夕づける根釣や一人加はりぬ                      笠原古畦
鯊釣や不二暮れそめて手を洗ふ                     水原秋櫻子
寒釣の一人動きて二人なる                       右城暮石

もっとも、同じ釣りの句でも「水を釣つて帰る寒鮒釣一人」(永田耕衣)になるとやや趣が異なろう。しかしながら、僕たちはまた、こうした句とはまるで縁遠い場所で釣りの句をふと目にすることがある。

江戸前の釣りといえば、この季節はいわゆる〝花見ガレイ〟だが、下町の船宿にはたくさんのカレイやアイナメの魚拓が貼り出されている。稚拙なものも、凝った彩色魚拓もまじってそれだけで楽しいのだが、なかには添書きでいろんなことが書かれていたりもする。
〈真子鰈 親も子もいて孫もいて〉とか、〈真子鰈 華麗に舞って春の海〉とか、カレイを華麗にひっかけたりして、しゃれたつもりのものまである。これが俳句であるのか川柳のつもりなのかは定かではない。けれども、みんなカレイが釣れて嬉しくていろいろ書いてみるのであろう。釣りにはそういう楽しみがあったっていいわけである。

絵画に俳句を讃することがあるのはこの連載でも以前触れたとおりだが、そういえば魚拓に讃する句というものもあるのだ。盛川が「みんなカレイが釣れて嬉しくていろいろ書いてみるのであろう」と述べているように、嬉しさが俳句形式を借りて表現されるというのは―換言すれば、日本語の話者がそれぞれの感興の落とし所を俳句形式に見出すというのは―それ自体きわめて興味深い事態であるように思われる。
ところで、「釣るなら食べろ」「食わないなら釣るな」「食べるならできるだけうまく食べろ」をモットーとする盛川が説くのは釣りだけでない。どのように食べるか―それも、どのように食べればよりうまいか―についてもさまざまに記している。
たとえば盛川はお節料理について次のように書く。

〈鯊焼くや深川はまだ昼の月〉
と即興の句が浮かんだのは、甘露煮にする江戸前の深川で釣ったハゼを白焼きにしているときだった。
コブ巻きの昆布は羅臼産のいいものがこれまた北海道から届いた。シャケの荒巻は小説家の西村寿行さんから毎年届く。
そしてタコ、明石は家人の故郷だが、江戸前のタコは師走の一日に三ばい釣った。東京湾の横須賀沖で蟹餌に抱きついてきたのだった。
〈蟹を抱き蛸頓狂に釣れあがる〉
 これまた拙句のひとつである。

「釣って成仏、食べて功徳」と語る盛川に料理の句が多いのは自然なことにちがいない。しかし、「鯊焼くや深川はまだ昼の月」と詠んだのは釣り師の盛川ならではのことであったろう。盛川が見ているのは目の前にある白焼きの鯊だけではない。その鯊を釣った深川にもまた思いを寄せているのである。ここで詠み込まれた鯊はむろん「落ち鯊」の類である。夏のころの鯊をデキハゼといい、これは俗にダボハゼといわれるようにすぐに餌に食いつくが、落ち鯊はそうはいかない。鯊釣りはきわめて庶民的な釣りのひとつだが、時期によってはなかなかの技術が必要なのである。

七月~八月のデキハゼから九月~十月の彼岸ハゼ、そして十一月~十二月の落ちハゼ、十二月~一月のケタハゼという具合に、ハゼはだんだんと深いところに移動して行き大きくなる。その分、釣りのほうは難しくなり釣趣もいや増す。落ちハゼ、ケタハゼにもなってくれば、もうそうそう簡単には釣れないのだ。

自ら白焼きにしつつその鯊の向こう側に深川を見る盛川には、この落ち鯊釣りの釣趣もまた呼び起されていたのではなかろうか。盛川は「そのときどきに自分が感じた心象も含めた風景を文字に託してみるのはいいことである」といい、「ぼくはこれからも稚拙な俳句もどきのものを作ってゆくが、釣りにはこういう愉しみ方もあるということだ」という。釣りをすることでそのときどきに俳句が生まれ、その俳句が生まれることによって釣趣が舞い戻ってくるような、そうした幸福な円環がここにはたしかにあったように思われる。