石原文蔵『俳句は「脳の体操」にちょうどいい』(新講社、二〇一二)の一句。本書の内容は「楽しく生きること」「ボケないこと」を「後半生の最大目的」であると述べる石原が、「脳の体操」としての俳句の効用を提唱する、というものである。石原は自身について次のように語っている。
句歴だけは35~36年になります。俳句結社に属さず、同好会的な句会を楽しみ、見るべきものといったらせいぜい「朝日俳壇」に何度か選んでいただいた程度。とくに熱心に句作に励むこともない、けれどヒマがあればなんとなく句もどきをメモするクセをもつ自称B級俳句愛好者(ハイカー)です。
「俳句に興味を持ったきっかけがそもそも脳に関係がありました」という石原は、一九七〇年代に大脳生理学において右脳と左脳の違いが注目されるようになってから生まれたという「右脳俳句」をとりあげている。一方で、現在では「論理的思考をするときは左脳が働く」「右脳は直感的思考のときに働く」といったかつての考えに疑問符が付けられているとし、川島隆太が松山市の「俳句と脳の研究会」に対する指導と調査から句作が前頭前野の全体を活性化させしかもその効果が四則計算よりも高かったというデータを導き出したことにふれて、句作では「右脳だけが鍛えられるのでなく、両方の前頭前野が鍛えられるということになってくる」としている(なお、川島の行った調査についての記事を石原は「アサヒ・コム」二〇〇七年六月七日の記事であるとしているが、現在でも次のURLで閲覧可能(ただし六月一〇日付)。http://book.asahi.com/clip/OSK200706090036.html)。
だが、石原は右脳俳句の可能性を見限っているわけではなく、次のようにいう。
右脳俳句は、俳句と脳の関係について、初めて具体的な提案をしたという点で、とても画期的だったと思います。左脳との共同作業も軽視していませんでしたから、その点、発展していく可能性はじゅうぶんにありましたし、いまもあります。
つくり方自体は一般的な作句法と違いがあるわけではありません。
概念でつくるな、知識でつくるな、言葉遊びをするな……。こういったことは、「月並俳句」とたたかった子規以来の近・現代俳句の方向を踏まえたものです。
僕は、句作が脳を鍛えるというという類の話の信憑性について何か言おうとは思わない。それよりも僕にとって興味深いのは、自らの句作の方法論の選択が―あるいは「俳句」に携わるという行為の選択が―身体の機能の活性化を目的として行われることがありうるということを、石原が身をもって示していることのほうである。すなわち、「概念でつくるな、知識でつくるな、言葉遊びをするな」という「一般的な作句法」を石原が選んだのは、本書の題名通り、そのようにつくったほうが「「脳の体操」にちょうどいい」からであった、ということこそ興味深いものであるように思われる。石原は「B級俳句愛好者」と称しているが、他方「私の基準では俳句をライフワークとする人、つまりプロの俳人は「神さま」」であるとしている。石原のこの言葉は、そもそもなぜ「俳人」は「俳句をライフワーク」としているのかという疑問へと繋がっているように思われるが、石原は「俳人」を「神さま」と呼ぶことでその疑問に対する思考を停止している。たしかに、石原の言にしたがえば脳の活性化のために俳句をつくるのは「B級俳句愛好者」であって「俳人」のすることではないということになろう。けれども、それならば「俳人」は何のために句作をしているのだろうか。いわゆる「自己表現」のためだろうか。あるいは俳句表現史に新たな一句を追加するためだろうか。俳句が「好き」だからだろうか。それとも、とくに目的は明確ではなく、つくることでそれを見極めようとしているのだろうか。しかしそれらは、石原が「「脳の体操」にちょうどいい」から俳句をつくることを選んだということと何が違うというのだろうか。
もっとも、この「神さま」の表現行為について石原が全く語っていないわけではない。たとえば「ある時期まで」の自分の句会での姿勢について石原は次のように回想している。
1時間ほど散策して会場に戻り、それぞれ顔を赤くし青くし、かつ軽口をたたき合いながら句作に没頭。あとは通常の句会と同じ。清記、選句、講評と続き、終われば第2ラウンド開始です。第2ラウンドになるとさすがに疲れが出て、大向こうを唸らせようなどという下司根性が消えてしまいます。肩の力の抜けた素直な句、というよりなりふりかまわない句が生れます。概してこういう句が受け入れられました。
句会が終わればつぎの句会まで俳句のことはさっぱり忘れ、字句を読みなおしたり、推敲したりするなどは思いもよりませんでした。これが30代のころのわたしの俳句とのかかわりでした。B級というポジションの座布団を温めます。
しかし、阪神淡路大震災で被災した永田耕衣について語るなかで、「琴座」の同人たちが倒壊したがれきの中から百冊以上の句帖を拾いあげたことにふれ、さらに「数十の句が試みられていたり、一句のため、まる一冊書きつぶされた句帖が見つかった」という城山三郎の言葉を引いて、石原は「頭を垂れるしかありません」「俳句に感じた恐ろしさとはこうしたところにあります」と述べている。だが、石原はこれに続けて「推敲は俳句と脳の主戦場なのです」と語っており、実はこれが推敲の重要さを示すエピソードとして挿入されていたものであったことに気づかされる。
気軽に推敲しながら俳句を楽しんでいるうちに、人生の終着駅とやらにたどり着くだろう、そのとき「ボケもせぬ」となれば願望成就。
いい感じではないかと思ったりもします。
耕衣についての話の最後で、石原はこのように述べる。そういえば本書冒頭でも石原は耕衣をとりあげているが、そのときは次のように紹介していたのであった。
三菱系の大会社の部長を55歳で定年退職、第二の人生を、趣味にしていた俳句にかけました。97歳で亡くなるまで俳句三昧。(略)
耕衣は明らかに長命者・長寿者です。さきほどの「癌ともならずぼけもせず」(草間時彦の句「端居して癌ともならずぼけもせず」のこと―外山注)ですが、朝の散歩、小瓶一本のビール、目刺や昆布が好きという生活ですから健康的。散歩はいつも下駄をはいてカラコロ出かけ、大地を踏みしめるようにして歩いていたそうです。少々の酒と粗食と散歩。すっきりしたものです。
粗食は高齢者の健康維持には欠かせません。若い頃のように多くのカロリーを必要としません。からだ自体が省エネ体質になっています。ですから粗食で十分。「癌ともならず」ですね。
そしてライフワークの俳句。これが「ぼけもせず」の特効薬になります。
つまり、本書において耕衣はまず「楽しく生きること」「ボケないこと」という「後半生の最大目的」を見事に達成した「長命者・長寿者」の例として登場するのである。そして石原は、その耕衣が見せた「俳句の恐ろしさ」については「頭を垂れるしかありません」と述べることでその「恐ろしさ」の本質に立ち入ることを回避し、大量に推敲を行ったという側面を抽出する。このような姿勢が「俳人」を「神さま」と呼び自らを「B級俳句愛好者」と呼ぶときのそれと通底するものであるのはいうまでもない。もっとも、このような姿勢を批判するのはそもそも石原の著書の趣旨からいってもお門違いであろうし、僕もそのような批判をするつもりはない。ただ、耕衣についての石原の言葉は脳の活性化のために俳句に関わるということがどのような事態であるのかをよく示していると思うし、一方で、決してこのように語ることはないであろう僕たちの「耕衣語り」とは、実は石原のそれのような「耕衣語り」を排除したところに成立するものにすぎないのではないかとも思うのである。
さて、表題句に話を移そう。この句が引用されているのは本書第三章「頭を使おう、言葉の格闘技!」のなかである。ここで石原は子規や虚子がやっていたという「埋め字」や、江國滋がやっていたという見知らぬ人のお悔み記事を読んで追悼句をつくる方法、あるいは方言を用いた俳句や漢詩を下敷きにしてつくった俳句などを紹介している。
好きな漢文や詩の一節を下敷きにしての作句は、なかなか楽しい時間になります。ただしこれは節度が肝腎。あくまでも脳の体操として楽しみたいものです。
もう一つ、わたしのごく個人的な楽しみとして、新聞の歌壇に選ばれた歌(五七五七七)を五七五に縮めるというのがあります。作者の意図を損なわずにどれだけ省略できるかという練習になります。もちろん、机上限定の楽しみにすぎません。
毎日日曜のひとときは新聞の俳壇に選ばれた句の中で気に入ったものに○印をつけたり、歌壇の歌のいくつかを俳句につくり変えるという楽しみをもってきたのですが、2012年4月16日、〝衝撃〟が走りました。
歌壇に、
小淵沢越えればすべてモノクロに八ケ岳には残雪の見ゆ
隣の俳壇に、
モノクロもよし残雪の八ケ岳
作者はどちらも篠原三郎さんという静岡市の方で、俳壇ではおなじみの名前でした。
同一のテーマを短歌と俳句にするということ、そしてそれが両方とも新聞俳壇や新聞歌壇に掲載されたということは興味深い問題をはらんでいるように思う。だが、ここで注目したいのはこうした事態に対する石原の「衝撃」のありようである。
「うーん」と唸りました。「やるねー、すごいねー」。同じ日に!作者にとっては盆と暮れが一緒に来たようなものでしょう。きっと今夜は目出鯛で一杯だな、などと思いました。
こういうことをさらりとおこなってしまう方がいるから、言葉磨きの奥の深さは底が知れないのです。
定年になってすることがない、何か楽しいことをしたい、それもおカネのかからないもの。さらにボケ封じになるもの、そんなものが何かないかなというのであれば、俳句はお勧めですね。俳句はつねに新しい視点を求めています。そこが脳トレになるのです。
ここで石原は「言葉磨きの奥の深さは底が知れないのです」として「言葉の格闘技」としての俳句の「奥深さ」へと話を収斂させている。ここに、たとえば「俳句形式」「短歌形式」それぞれにおける書くということについての問いや、それぞれの形式で同一のテーマの作品を書けてしまえたということについての葛藤や、それが「俳人」や「歌人」によって認められるという「新聞俳壇」「新聞歌壇」という場への問いなどが入り込む余地はない。そして、それでよいのである。石原のいう「脳トレ」としての表現行為においては、そのようなことを考えるのはまったく本質的なことではないからだ。