【64】女どもの赤き蕪を引いて居る     正岡子規

小川敏男『漬物と日本人』(日本放送出版協会、一九九六)の一句。本書は「漬物紀行」「漬物の歴史」「漬物の科学」の三つの章からなる漬物の本である。
日本人は古くから漬物を歌に詠んできたが、著者の小川によれば万葉集に長忌寸喜吉麻呂の「ひしおすに蒜つき合てて鯛願ふわれにな見せそなぎのあつもの」という歌があり、漬物を詠んだ歌ではこれが最も古いものとされているという。「なぎのあつもの」とは葱の煮物のことで「ひしおす」は「醤」に「酢」をまぜたもの。「蒜つき」というのが漬物のことで、韮に塩をまぶし、搗いたり揉みつけたりして塩をなじませたものである。漬物はもともと「浸したもの」という意味であり、塩漬けを指していたものらしい。小川によるとこの歌は「作者が宴席に呼ばれたときに『にらの搗き漬けをあえたものと鯛を出してください。つまらない葱の煮物はごめんですよ』というざれ歌である」という。
漬物といえば、安土桃山から江戸時代にかけて活躍した澤庵和尚もまた漬物の歌を遺している。

大こうのものとはきけどぬかみそに打ちつけられてしほしほとなる
昔見し花のすがたは散りうせてしはうちよれる梅ぼうしかな

たくあん漬けの名前の由来について、小川は「禅師の墓石が丸い石で、たくあんの重石に似ているから」「『貯え』からたくあんになった」などの諸説を挙げたうえで「大こうの」の歌について次のように述べている。

江戸時代に入り、白米食が普及し、米糠が出回ったので、和尚がこれに目をつけ、大根漬けを大根の糠漬けに改善したものであろう。(略)「大こう」は豊臣秀吉のこと、また、「ぬか(糠)」には「康」の字が入っており、家康に通ずる。豊臣秀吉が徳川家康にうちのめされたことをほのめかしたものと思われる。このことからもたくあん漬けは澤庵和尚によるものとしたほうが無難である。

さて、表題句は正岡子規の句である。本書では松山の「緋の蕪漬け」にかんする記事の中で松山出身の子規の句としてこの句を紹介している。

緋の蕪は、一一月中旬から正月にかけて収穫し、葉を切り落として根株を塩漬けにする。飛騨高山の赤蕪と同様に、表皮は赤く肉質は白い。一週間ほど下漬けをしてから、食酢と、橙の汁と砂糖で本漬けをするが、この酢の作用で色素が蕪全体に浸透し、色も鮮紅色になり、「緋の蕪」の名にふさわしい漬け上がりになる。

食べるのが大好きな子規のこと、漬物について俳句だけでなく何かしら文章を遺しているだろうと思って調べてみるとすぐに見つかった。以下は「墨汁一滴」の一節である。

近日我貧厨をにぎはしたる諸国の名物は何々ぞ。大阪の天王寺蕪、函館の赤蕪、秋田のはたはた魚、土佐のザボン及び柑類、越後の鮭の粕漬、足柄の唐黍餅、五十鈴川の沙魚、山形ののし梅、青森の林檎羊羹、越中の干柿、伊予の柚柑、備前の沙魚、伊予の緋の蕪及び絹皮ザボン、大阪のおこし、京都の八橋煎餅、上州の干饂飩、野州の葱、三河の魚煎餅、石見の鮎の卵、大阪の奈良漬、駿州の蜜柑、仙台の鯛の粕漬、伊予の鯛の粕漬、神戸の牛のミソ漬、下総の雉、甲州の月の雫、伊勢の蛤、大阪の白味噌、大徳寺の法論味噌、薩摩の薩摩芋、北海道の林檎、熊本の飴、横須賀の水飴、北海道の鮞、そのほかアメリカの蜜柑とかいふはいと珍しき者なりき。

ここでは「酒の粕漬」「大阪の奈良漬」「鯛の粕漬」「神戸の牛のミソ漬」が登場するが、「伊予の緋の蕪」の文字も見える。これは二月九日に書かれているから、緋の蕪の収穫時期を考慮すると、これは緋の蕪漬けのことを指しているものと思われる。なお子規にはほかに「緋の蕪や膳のまはりも春景色」という句もある。寛永四年(一六二七)、松山城主の加藤喜明が会津に転封となった際、代わりに出羽上山から転じた蒲生忠知が近江から持ち込んだという「緋の蕪」は、「松山城の見えるところでないと育たない」ともいわれる松山の野菜である。子規にとっては故郷を想起する野菜であったろう。また、表題句の「赤き蕪」も「女ども」も松山という風土を前提とした「赤き蕪」であり「女ども」であったろう。このように考えるとき、坪内稔典による次の指摘は興味深い。
坪内は「鶏頭の句」(『正岡子規』俳句研究社、一九七六)において、子規の随筆「赤」「吾幼時の美感」「啼血始末」を引きながら、これらに通底する子規の赤色に対する執着を指摘し、次のように述べる。

子規が好きだという赤色は、以上のように見てくると、子規の〝生の深処〟と重なってくる。天然の赤色、草花の赤色は、暗い、澱んだ赤色を背後に持っていたのである。写生に執着し、天然の世界へ視線を広げることで、子規は自らのかかえている暗い深処に耐えていた。

坪内は子規の赤色への執着を「生の深処」なるものへと接続させているが、坪内の説の是非はともかく、子規が赤色を好んでいたというのは本当だろう。もっとも表題句の「赤き蕪」は、漬ける前の蕪であろうから、鮮やかな赤色というわけでもあるまい。掘り出したときには紫がかっている蕪が、漬けることによって鮮やかな赤色に変わる。「緋の蕪や膳のまはりも春景色」からは、その鮮やかさを喜ぶ子規の姿が浮かんでくるようだ。