何を売る店だろう。はじめは素直に甘味処を思ったが、ああいう店は午後の時間が書き入れ時だから、蜜豆を食べるようなおやつの時間に店番を任せるということはない。だから、飲食店で、ランチが終わって夜の営業まで店主が買い物に行っている間の店番なのか、それとも古本屋さんのようなのんびりした商売をしているところでの店番なのか。とにかく、店主がいない、特に急いでしなければいけないこともない、ぽっかりとした午後の時間に、呑気に蜜豆を食べている店番の子をみとめたときの、この作者の心が楽しくなっているのが、読者である私にも伝わってきて、気分がよかった。読むと気分のよくなる句だ。店番の「み」、蜜豆の「み」の頭韻も気持ちいい。
「店番が」だとやっぱりダメで、「子」という言い方に、店番している人の若さが言いとめられている。店の経営とか、そういった煩わしいあれこれとは無縁の、アルバイトの子の明るさが、蜜豆の気分とも合う。
角川「俳句」2014年10月号、特別作品21句「湯の沸く音」より。