松本忍終句集『背負い行李』(卯辰山文庫、一九八九)の一句。本書の「あとがき」によれば、松本が師と仰ぐ金尾梅の門と出会ったのは昭和二八年のことであった。
十八歳の正月田舎へ帰り、隣村の稲積という村に住む同級生を訪ねますと、彼と年子のお兄さんが町の警察へ勤めていて俳句を作っており、俳句の総合誌を見せてくれました。ちょうど一月だったので年鑑を持ってきて、「季節」という雑誌は富山県出身の金尾梅の門先生が主宰していて、農協へ勤めている兄がその雑誌に所属していると聞き、私はその年から東京へ売薬行商に行くことになっていましたので、昭和二十八年四月上旬、桜が咲き始める雨の日曜日に、善福寺の季節発行所を訪れ、金尾梅の門先生に初めてお会いしました。
富山出身の松本は四〇代半ばまで売薬行商を生業としていたが、金尾も若き日に売薬行商をしていたことがあった。金尾門下となってまもない昭和三〇年、当時角川書店に勤めていた金尾が自宅で売薬業を始める際、松尾はその手伝いのために数年間金尾の家で寝起きをともにしているが、こうした両者の交わりは富山という地縁のなせるものであったろう。
土地屋の旗々荒縄で巻く霜の墓
荒縄の先のすみれのベトナムよ
不況いつまで街街の芽吹き胴よりす
同じ金尾門の鈴木勁草は本書序文で「若き日、僕らは句に批評性があるかないかで大いに論じ合ったものだ」と書いている。「若き日」とは、松本が金尾の家で暮らしていた昭和三〇年頃のことであろう。この頃、松本や鈴木ら若手作家たちは「季節青年句会」という月例句会を行っていたのであった。折しも、俳句における「社会性」への関心が高まっていた時代であった。松本の句集にはこのように社会的な事象を詠んだものが散見されるが、「この作家の特色はこまやかで滲み透るようなリリシズムだ」(山本健吉『定本現代俳句』角川書店、一九九八)と評された金尾門の若手作家にあっても、「社会性」の問題は看過できないものであったらしい。ただ、松本の詠みぶりは事象の上っ面を掬い取るようなものではなく、もう少し土着的なまなざしに基づいたものであったように思われる。
啓蟄や弁当ひらく墓のうら
墓背負い炎える牡丹の奥暗し
「墓のうら」といえば尾崎放哉の「墓のうらに廻る」が夙に知られているが、故人の名の刻まれた「墓のうら」に対し「廻る」とのみ詠うにとどめた放哉に比べ、「啓蟄や弁当ひらく」とまで詠う松本はいかにも饒舌だ。とはいえ、「墓のうら」や「墓」を「背負」うものの存在を見出した松本のまなざしを思うとき、「土地屋の旗々荒縄で巻く霜の墓」と詠むときの「霜の墓」が死者や生き残った者たちにまで行き届いたまなざしによって見出されたものであったことが思われもするのである。
さて、表題句に話を移そう。松本が「季節」に入会したのは一八歳の折に「遠き火事パンの袋を雪に捨つ」が金尾に激賞されたことがきっかけであったという。この句を金尾が称賛したのは、「ふところに入日のひゆる花野かな」「慟哭のはていつぽんの薄折る」とあわれな自己を静謐に詠んだ金尾において、この句に詠まれた激しくも静かな自己のありように思うところがあったのであろうか。いずれにしても、松本の句業はこうしたやや自己陶酔的ともいえる句から始まったのであった。「アパート凍て壁中走る下水音」はこうした出立のさきに生まれたものであったが、ここに詠まれた自己のありようはまた、寺山修司の「きみのいる刑務所とわがアパートを地中でつなぐ古きガス管」を補助線とすることでよりくきやかに見えてくるように思われる。この歌が収録された『血と麦』の刊行は昭和三七年。松本とほとんど同い年であり、青年時代に青森から上京した寺山は「きみ」と自らとが「地中」の「古きガス管」を共有していることを見出すだけの想像力をもちえた。一方松本は同じアパートに住まう個人個人が共有する下水管を見出したのである。また、寺山があくまで「きみ」と自らという二者の関係を詠い、起爆性や自死を想起させる「ガス管」を詠っているのに対し、松本がアパート全体を―いわば「ぼくたち」という一体性のある関係を―詠っている点や、死よりもむしろ旺盛な生を思わせる「下水音」を詠っている点にも注目すべきであろう。この差異の要因は、たとえば高校卒業後早稲田大学に入学し上京した寺山と、十代半ばから売薬行商を始め、一八歳でやはり行商のため東京に出てきた松本の青年期の違いに求めることもできるかもしれない。だが何にせよ、この句の価値は松本がアパートの外へと想像力を働かせなかったということにあると思う。そういえば松本の最初期の句「遠き火事パンの袋を雪に捨つ」は「パン」を捨てるのではなく、「パンの袋」を捨てていたのだった。やがて凍てつく地面にうち捨てられた「パンの袋」も、凍てつくアパートを駆けめぐる「下水」も、生きる者が廃棄した存在であり、それが凍てついた場に廃棄されていくさまは、生きる意志の強度の表れでもあろう。だが両句の決定的な違いは「遠き火事パンの袋を雪に捨つ」の句は「遠き火事」という遠方をまなざしているという点にある。ここに、先の寺山の歌へと繋がってゆく想像力を見出すことは強引に過ぎるだろうか。だが僕は、「遠き火事」へのまなざしを捨てたとき―いわば遠景でなく近景への執着を知ったとき―にこそ、「アパート凍て壁中走る下水音」の成立する契機があったように思われてならないのである。