【90】晝寝覚ひとり留守居の何か淋し  風間さく

風間嘉雄編『芙蓉花の朝はなやかに夕淋し』(非売品、昭和一五)の一句。
本書は風間さくの一周忌に併せて息子の嘉雄(八桂)によって制作された遺句集である。選句を委ねられた鈴鹿野風呂は序文で次のように述べている。

孝心深い八桂君が手帖よりあつめて、約百句をまとめられ、享年と同じく、六十三句選んで呉れとて差出されたものが、之である。刀自は、八桂君の俳句熱、それは何者をも導かねば止まないといふ、熱意に動かされて、作りはじめられただけに、晩学である。殊に眼を患つてをられたので、一緒に作る場合に、辿り辿りして記してをられたのであつた。

野風呂のいうように風間さくは息子の八桂の影響から『ホトトギス』『京鹿子』に投句していた。『京鹿子』を繙くと、野風呂が選者を務めた雑詠欄「神麓集」で次のように母子で並んで句が掲載されているのを見ることができる(昭和一一・七)。

春水や通ればはずむ板の橋     風間八桂
善峯の余花をたづねて母となり   同
春宵や孫が踊れば三味をひく    風間さく
唄ふ孫踊る孫あり春の宵      同

さくには「ひたすらに婦道を守り老の秋」という句もあるが、主婦としての生きかたを続けてきたさくが俳句を始めたのは、何より息子への愛情によるものであった。

わがまま育ちの一人娘で、融通の利かない強情張りなところのあつた母は内気で、物事に拘はりがちな、それでなかなか情厚いところもあつたのだが、どちらかと云へば親しみにくい方で、すつかり心を許しあつた友とてもあまりなかつた。唯子を愛し子に愛され、自然に親しみ趣味に生きる人生に光明を感じ、俳句も子の趣味に同化し、子と喜びを共にしたいのみのすさびにすぎなかつた。(風間八桂「跋」)

このようなさくにとって、たとえば先の雑詠欄で八桂とともに自らの名が掲載されたときの喜びはいかほどであったろうか。同じく息子の向井利一は本書で「滅私奉子(原文子に傍点)、唯一途に子供あるが故に生き永らへて来たやうな生活であつた母を想へば万感交々胸のつぶるる思ひがする」と書いているが、決して器用とはいえない生きかたであったらしいさくは、子育てだけでなく草木を育てることにもまた熱心であったようだ。

父の病む孫と淋しき炉邊に在り
想ひ唯病む子にかよふ火桶抱く
風邪の孫折紙細工初(ママ)めをり
あれこれと種物蒔きて芽ばえ待つ
根分する菊の名札を見て廻る
草むしりして暁の庭がすき
朝顔の種取る鉢をあれこれと
木犀の香に誘はれて庭に立つ

眼を病み大学病院に入院していた頃のさくは「いたつきの眼も日々によし菊に佇つ」とも詠んでいる。「草むしりして暁の庭がすき」などの句に見られるように、ときに自らの庭への愛情をあけすけに言い放つこともあったさくだが、それにしても、先の八桂の跋文があるからだろうか、本書に家族以外の人物の姿が見られないのがどこか気になってくる。
表題句はその家族の姿も、自らの愛する草木の姿もない一句である。この句は他の多くの句と同様に、主婦としての生活を詠んだものであろう。新興俳句運動において優れた作品を遺した女性俳人に藤木清子がいるが、藤木には「ひとりゐて刃物のごとき昼とおもふ」がある。昭和一一年に夫と死別し子どものない寡婦となった藤木はその二年後の『旗艦』にこの句を寄せたのだった。さくが『芙蓉花の…』に収められた句を作っていたのもちょうどこの頃のことである。藤木には「しろい昼しろい手紙がこつんと来ぬ」もあるが、自らの孤独に対する藤木の研ぎ澄まされた感覚に比べると「晝寝覚ひとり留守居の何か淋し」の表現の緩慢さは明らかだ。藤木は過酷な状況のなかで自己を見つめ優れた作品を遺した。その意味では、いわばこの命がけの藤木の営みはむろん尊いものであったろう。だが、さくが「ひとり」でいることの孤独感を「何か淋し」と書いて満足しえたこともまた、さく自身にとって決して不幸なことではあるまい。

端居して留守日記書き子をおもふ

さくには帰ってくるべき子がいたのだ。さくにとっての「ひとり」とは、それを前提とした「ひとり」であり、不意に襲われた孤心でこそあれ、それはいずれは必ず子によって救われるという期待を伴うものだったのではあるまいか。さくには「藤木清子」の不幸はなかったが、それ以上に、「藤木清子」になりえないという、得難い幸福があった。八桂のいうように、さくにとって俳句とは「子の趣味に同化し、子と喜びを共にしたいのみのすさびにすぎなかつた」のであるが、さくにとってこれ以上の幸福があったろうか。
『芙蓉花の朝はなやかに夕淋し』から十余年後、八桂は句集『婦耀』(非売品、昭和二六)を上梓する。これは八桂とさくの句をともに収録した二人の共著である。死してなお、さくは俳句を通じて息子とともに生きながらえることとなったのである。さくの「ひとり」とは、たとえばこのような救済への期待を伴った幸福な「ひとり」ではなかったか。