都築響一『夜露死苦現代詩』(筑摩書房、二〇一〇)の一句。
都築は巻末で相田みつを論の不在を指摘しつつ、本書執筆の意図を次のように述べている。
便所と病室に一番似合うのがみつをの書だと、多くの人が知っている。立派な掛け軸になって茶室に収まるのではなく、糞尿や芳香剤や消毒薬の匂いがしみついた場所に。そしてだれもがひとりになって自分と向きあわざるをえない場所に。そういう場所で輝く言葉を、もしくだらないとけなすのだったら、居酒屋の頑固オヤジやホスピスで闘病生活を送る末期患者を、なるほどと納得させられるだけのけなしかたをしなくてはならないだろう。それができないから、プロは相田みつをを誉めもしなければ、けなしもしない。ただ眼をつぶって、耳をそむけて、今日も美術館の前を早足で通り過ぎるだけだ。
だれもが愛しているのに、プロだけが愛さないもの。書くほうも、読むほうも「文学」だなんて思いもしないまま、文学が本来果たすべき役割を、黙って引き受けているもの。そして採集、保存すべき人たちがその責務をまるで果さないから(学者とはそういう職業ではなかったか)、いつのまにか消え去り、失われてしまうもの。そういうものを毎月ひとつずつ拾い上げ『新潮』という純文学誌で連載したのが、本書の元になった。(「相田みつを美術館訪問記 あとがきにかえて」)
「居酒屋の頑固オヤジやホスピスで闘病生活を送る末期患者を、なるほどと納得させられるだけのけなしかたをしなくてはならないだろう」という都築の指摘はもっともだ。だが、相田みつをの書で救われる者がいるのなら、その一方で相田みつをの書によっては救われない者がいるのもまた事実であろう。また、そもそも相田みつをの書をけなすことはその書によって救われるということをけなすこととは別次元の問題である。いってみれば作品そのものの良し悪しとその作品を読む行為の切実さの強弱とは、位相を別にするものではないだろうか。
ただ問題は、手続き上、作品の良し悪しはどうしても読む行為を通じて判断せざるを得ないものであるために、両者は不可分の関係にあるということ―さらにいえば、その判断は本来的に個人的な営みとして立ち上げざるをえないということだ。そうであればこそ、僕たちは、自分の高く評価する作品について他者が批評した言葉を見聞きし、それが自分にとって納得いかないものであるようなとき、そこには悲しさとか寂しさとか怒りとか、そういった感情がいくらかでも沸き立つことがあるのではないだろうか。「感情的になる」という言葉があるが、多かれ少なかれそうした思いを抱くということは僕たちになかっただろうか。
都築は暴走族の特攻服に刺繍された言葉や湯呑茶碗の「説教詩」、さらには玉置宏の話芸など、普段は「詩」と見なされないような言葉を紹介していく。それは必然的に「詩」とは何か、優れた「詩」とは何かという問いを引き寄せるが、そうした問い対し具体的な回答を提示したのが本書なのである。
本書にはまた、「俳句」に関わる記述もある。全一七章のうちの第一章「痴呆系 あるいは胡桃の城の山頭火」、第五章「死刑囚の俳句 あるいは塀の中の芭蕉たち」がそれである。第五章「死刑囚の俳句 あるいは塀の中の芭蕉たち」でとりあげられているのは『異空間の俳句たち』(異空間の俳句たち編集委員会編、海曜社、一九九九)、『処刑前夜 死刑囚のうたえる』(北山河・北さとり、光文社、一九六〇。一九八一年に大樹社より改訂版発行)の二冊に収められている死刑囚の俳句だ。『異空間の俳句たち』については本連載で一度とりあげた。
綱/よごすまじく首拭く/寒の水 和之
寒の水 もて/今朝の畳を/拭きに拭く 弓石
秋天に/母を殺せし/手を透かす 祥月
つばくろよ/鳩よ雀よ/さようなら 菊生
これらは『異空間の俳句たち』に収められている作品である。「つばくろよ」の作者である菊生は一九五〇年に強盗殺人の罪に問われて死刑を執行された人物。朝鮮人の菊生は俳句どころか日本語の読み書きもあやうい状態であったが、このように俳句を詠めるようになったのは、死刑執行の五ヶ月前から北山河という俳人の指導を受けるようになったためだ。北山河は一八九三年生まれの大阪の俳人である。芦田秋窓に俳句を学び秋窓の『大樹』を引き継いで主宰となった。北山河は一九四九年に初めて大阪拘置所を訪れ死刑囚に面会して以来、持病の神経痛を抱えながらも一九五八年に亡くなるまで毎月二回欠かさずに死刑囚の句会を所内で開き指導をしていたという。
都築はこの『異空間の俳句たち』を編集した稲生節と西村都に取材し、同書の刊行までの経緯やその反響などを記している。それによれば、もともと二人は近江今津で海曜社という出版社を営み、自費出版の句集などを手掛けていたが、「叫びたし/寒満月の/割れるほど」(武雄)を偶然目にしたことがきっかけで死刑囚の支援者組織や死刑廃止運動家を訪ね歩き優れた俳句を収集するようになったのだという。
全国に配本できたおかげで、俳句の書籍としてはずいぶん広い範囲から反響があったようだが、俳壇のほうからは批判のほうが圧倒的に多かったという。「ひとつひとつの句に、作者の境遇など短い説明を入れたのがよくない」、「俳句を読みつけていない人にもわかりやすいように、3行に分かち書きにしたのもよくない(本当は1行で書くべき)」、「ルビを振ったのもよくない」などなど、「ずいぶんお叱りを受けちゃいました」とふたりは苦笑いする。俳壇ってのもつまらない世界だ、ほんとに。
興味深いのは、ここで「俳壇」という言葉を都築が用いていることだ。「俳壇」なるものがあるのかどうかを疑う者もきっといるだろうが、都築においては「俳壇」はたしかに存在するもの―それも「つまらない世界」であるものとして想定されているのである。その事実が僕は重要だと思う。そしておそらく僕もまた、都築のいう「俳壇」の内にいる一人であろう。僕だけではない。あなたもまた「俳壇」の内にいるかもしれない。都築の言を俟つまでもなく、「俳壇」は「つまらない世界だ」といった類の言葉はしばしば目にする。だから、まさか自分が「俳壇」などという「つまらない世界」にいるとは思いたくないと考えるのは当然である。しかしそれは少し卑怯ではないかと思う。どうして僕やあなた一人に赦された例外などというものがあるだろう。
最近は、もはや俳句形式から嫌われるだけ嫌われてしまった感がある。そんなことで、最近のぼくはとても寡黙になってしまっている。諸俳誌の雑詠欄をみると、毎月毎月旺盛に作句している人達で一杯で、誠にうらやましい限りだが、いまのぼくは、そんなにまでしてぼくの内なる俳句への志向をうらぎりたくはない。(大屋達治「意志なき老人達」『俳句研究』一九七六・二)
あたかも自分だけが例外的な場所にいるかのようなこの種の勘違いは、ともすれば誰もがしうるものであろう。けれども残念ながら僕たちは「俳壇」の内にいる。それなら、「俳壇ってのもつまらない世界だ」と嘯くよりも、「俳壇ってのもつまらない世界だ」という言葉を引き受けるほうが真っ当ではないだろうか。
さて、表題句に話を移そう。
本書の序章を飾る「痴呆系 あるいは胡桃の城の山頭火」は介護助手として高齢者医療に携わる直崎人士が早田工二・直崎人士の二役を兼ねた名で執筆した『痴呆系』(データハウス、一九九七)を紹介したものだ。
そういう「理想の老人像」にそぐわない老人たち、直崎さんの言葉を借りれば「痴呆、精神病をはじめ、さまざまな病気を抱えつつ、それが反道徳的であろうと、ありのままに余生を爆発させる」、崖っぷちのパンクスたち。医学書には老人性痴呆やアルツハイマーの症状として「意味不明な、またはつじつまの合わぬ言動が目立つ……」と挙げられているそうだが、病という一語のもとにすべてをくくり、切り捨ててしまう医療現場に、彼らによってもたらされる一瞬の詩的瞬間。
そのような老人たちを直崎さんは「胡桃の城(脳)の山頭火」と名づける。
高齢者医療の現場で直崎が収集してきた「崖っぷちのパンクスたち」の表現とは、たとえば次のようなものだ。
人生八王子
目から草が生えても人生ってもんだろ
力士が!力士が、何故どこまで力士がやってくる
あたしを釣ろう、ったって天の筋がピシャン!
音の出る坂へバスで行きたいんですが
おむつのなかが犯罪でいっぱいだ
いずれの作品も作者名は明かされていない。破れかぶれであろうが身一つでぶつかってくるその表現は、その意味ではたしかに山頭火のそれと似ているところがあるかもしれない。これを自由律俳句だというのなら、現在これほど衝撃的な作品を俳句雑誌で読むことは稀であろう。表題句はそのなかのひとつである。
窓緑なかのあたしは赤裸
これは五七五になっているが、俳句の師匠をしていたという元教師の女性の作品であるということだから、定型になったのは偶然ではあるまい。窓外の景色の緑とベッドに横たわる自らの身体を詠ったものであろうか。この「赤裸」は決して惨めなものではあるまい。窓外の緑に拮抗しうるものとしての「赤裸」であろう。蒸れるほど茂った木々の緑と生き生きと血の通う身体との共鳴をあけすけな文体で言い放ったこの作品は清々しくもある。中村草田男は溢れるほどのわが子の生命力を「万緑の中や吾子の歯生え初むる」と礼讃したが、「あたし」の生命を臆面もなく讃えるこの句を前にすると、「吾子」の生命を詠う父としての草田男の大人ぶりがどこかつまらないものにさえ見えてくる。