【98】  人類に空爆のある雑煮かな   関悦史

思えば、この世界に一人の人間として存在していることほど奇妙なことはないのかもしれない。誰しもが、ある日気が付けばこの世界に紛れもなく存在していた、ということになるわけであるから、なんとも不可思議な話である。

掲句は、作者の第一句集『六十億本の回転する曲つた棒』収載の作品となる。「雑煮」は、当然ながら新年の季語であり、餅に数種の野菜、鶏肉、魚介類、豆製品などを加えて煮た汁物のことを意味する。「人類に空爆のある」という表現ゆえ、「雑煮」を前に、テレビの映像を眺めている、もしくは、同じテレビや、新聞、ネットなどで目にした報道に思いを馳せている、といった内容となるのであろう。

「人類」という言葉は、それこそ国家間の枠組みを越えて、地球上のあらゆる人々の存在までをも一括りに捉えるような趣きがある。それゆえ、掲句においては、目の前の「雑煮」から、日本という国の圏内を越えて、世界全体にまで意識の及ぶところがある。

正月の静かな一日、日本の空のはるか彼方の国では、「空爆」が行われているという事実。正月の普段とはやや異なる特別な雰囲気と、「空爆」という行為が空間を越えて並置されることによって、この現実の世界の奇妙さが浮き彫りとなる結果を示している。まさに掲句は、この現在の世界の在りようを、そのままのかたちで捉えた一句といえよう。

『六十億本の回転する曲つた棒』という句集のタイトルは、当時の地球の総人口を踏まえてのものであるという。集中には、〈独楽澄むや《現実界(レエル)》のほかに俳句なし〉〈核の傘ふれあふ下の裸かな〉〈目刺食つて株価明滅せる地球〉〈小惑星ぶつからば地球花火かな〉など、地球もしくは地球規模の出来事を直接詠み込んだものが少なくない。掲句にしても、先に見た通り、地球規模のスケールの出来事を捉えた作品ということになる。そして、この句集には、まるで「雑煮」のように、現在の地球上における「雑多な現実」の諸相が、そのまま抛り込まれているといった趣きが強い。

この地球上の六十億もの数え切れない人々の存在。そして、その六十億人の内の一人として、実際に自らの存在が、紛れもなくこの現実の世界に存在しているということの言いようのない驚異性。その事実をきわめて深い位相で認識しているのが、この作者といえそうである。掲句も含め、先に引いた句や〈蠟製のパスタ立ち昇りフォーク宙に凍つ〉〈路地に満てるペットボトルも花の雨〉〈死にきらぬゴキブリが聴くクセナキス〉〈月面になびいて旗の愚かさよ〉〈管理地に枯蔓二十一世紀〉などには、まさにこの現実の在りようが直載なかたちで捉えられている。「人類」の愚かさや滑稽さ、そしてその反面の真率さや崇高さ、また日々の悦びや哀しみなど、様々な要素がごった煮のように混在して成り立っているのが、この世界といえよう。

結局のところ、関悦史は、この猥雑さが猖獗を極める現在の世界の諸相を、ミクロ的な視座からマクロ的な視座に至るまで広範に見据え、さらにはそれのみならず時に自己の心奥に生じるイメージまでをも含め、多種多様なかたちで把握・認識し、強いリアリティを伴って形象化し得る、まさに異能の俳人といえるはずである。

関悦史(せき えつし)は、昭和44年(1969)、茨城県生まれ。吉岡実の散文で富澤赤黄男、永田耕衣、高柳重信を知り、現代俳句に触れる。数年後、20代半ばより句作開始。平成14年(2002)、第1回芝不器男俳句新人賞城戸朱理奨励賞。平成21年(2009)、「豈」同人、『新撰21』入集。平成23年(2011)、第1句集『六十億本の回転する曲つた棒』。平成24年(2012)、第3回田中裕明賞。