【100】  コーヒ店永遠に在り秋の雨   永田耕衣

永田耕衣の俳句には、禅の要素が割合色濃く感じられるところがある。例えば、〈夢の世に葱を作りて寂しさよ〉という句があるが、この「夢の世」は、現実とは反対の「夢」の世界をそのまま想起させると同時に、一方でまるで「夢」そのものであるようなこの現実の世界をも意味する両義的な言葉と見ていいはずである。

掲句もまた、この「夢の世に」の句と近い性質のものといえそうである。内容については、単に現実における「コーヒ店」そのものをそのまま描写した作品のようでもあり、また、現実の世界とは別の、それこそ「夢の世」に存在する「コーヒ店」を描出したものであるようにも受け取れる。

改めて掲句を眺めてみると、ここに描かれているのは、おおむね通常の景といってよさそうである。それこそ「コーヒ店」と「秋の雨」であるから、やはり特に取り立てて奇異なものというわけではない。ただ、ここに「永遠」という言葉が嵌入されることによって、一句が凡庸ならざるものとして生起する結果となっている。

「コーヒ店」と「永遠」という言葉からは、いくらかモダニズムの雰囲気が感じられるようである。それこそ詩人西脇順三郎の存在と、詩集『旅人かへらず』における〈永劫の根に触れ(中略)/水茎の長く映る渡しをわたり/草の実のさがる藪を通り/幻影の人は去る/永劫の旅人は帰らず〉の部分が想起されるところがある。こういった悠久を思わせる感覚は、掲句とも共通するものといっていいであろう。

思えば、耕衣には、掲句のように時間の概念を取り込んだ句が他にも〈月日消ゆるところに出来つ酢蓮根〉〈少年や六十年後の春の如し〉〈永遠が飛んで居るらし赤とんぼ〉〈初茄子や人から遠い時を行く〉〈枯れて居る時は過ぎつつ草の道〉〈来し方に戻らんと在り夏蜜柑〉〈古今即今夏や橋の上を行く〉など少なくない。

掲句には、春、夏、冬のいずれの季節でもない「秋の雨」が下五に配されている。もしこの天侯が「晴れ」であれば、「永遠」という言葉は、ここでは意味をなさないものとなっていたであろう。あくまでも「雨」という普段の晴れの日とはやや異なる閉鎖性を伴った天候ゆえに、「永遠」という言葉も真実味を帯びてくるものとなっている。また、「秋」の季節の属性である寂寥感もそういった印象を強めるのに寄与している。

秋の雨が冷たく降り続いているとある一日、おそらく「コーヒ店」を訪れる客の数も少ないであろう。深い静寂に包まれた店内において、珈琲からゆるやかに立ち昇る湯気をそれとなく眺めていると、徐々に忘我の境地とでもいうのであろうか、世の喧騒を遠く離れ、まるで時間という概念自体が解体、無化された時空間において、深い充実感を伴った「永遠のやすらぎ」の中に没入しているような感覚をおぼえるところがある。

それこそ、掲句からは、悠久の寂寥感とでもいうべき気配が色濃く感じられる、なんとも印象深い一句といえよう。

永田耕衣(ながた こうい)は、明治33年(1900)、兵庫県生まれ。大正11年(1922)、「山茶花」投句。昭和4年(1929)、「鹿火屋」、「鶏頭陣」に投句。昭和9年(1934)、『加古』。昭和13年(1938)、『傲霜』。昭和15年(1940)、「鶴」同人。昭和23年(1948)、「天狼」同人。昭和24年(1949)「琴座」主宰。昭和26年(1951)、『驢鳴集』。昭和30年(1955)、『吹毛集』。昭和33年(1958)、「俳句評論」創刊、同人、昭和35年(1960)、『與奪鈔』。昭和39年(1964)、『悪霊』。昭和45年(1970)、『闌位』。昭和48年(1973)、全句集『非佛』。昭和50年(1975)、『冷位』。昭和53年(1978)、『殺佛』。昭和55年(1980)、『肉体』。昭和56年(1981)、『殺祖』。昭和59年(1984)、『物質』。昭和60年(1985)、『永田耕衣俳句集成 而今』。昭和62年(1987)、『葱室』。昭和63年(1988)、『人生』。平成2年(1990)、『泥ん』。平成4年(1992)、『狂機』。平成7年(1995)、『自人』。平成8年(1996)、全句集『只今』。平成9年(1997)、逝去(97歳)。