【8】  眉しろく虹の裏ゆく旅人よ   橋閒石

果たして「虹の裏」などという場所は実際に存在するものであろうか。虹といえばそれこそ辿り着くことが出来ないものの象徴でもあり、その実体については単純に存在するといえるのかどうか曖昧なところがある。ただ「虹の裏」については具体的に特定することができなくても、虹の「こちら側」から「虹の裏」もしくは「向こう側」を望むことは少なくとも可能であろう。

夏の雨が止んだ後、蒸し暑さと雨の匂いを伴いつつも日常意識までもが軽く浄化されたような空気感の中、雲間から陽が射し、空気中に浮遊する水滴に屈折分光することによって彼方に虹が弧を描いて顕れている。その「虹の裏」に見えるのは、山や小高い丘、平原もしくは橋などの雨後の景観であろうか。そこを眉の白い年老いた旅人がゆっくりとした足取りで横切ってゆく。虹の赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の七色と老いた旅人の眉の白との色彩の照応がなんとも印象深い。

この超俗性を伴った老いた旅人の存在によって虹に付随するメルヒェン性は後ろへと退き、代わりに芭蕉の『奥の細道』の冒頭〈月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして旅をすみかとす。古人も多く旅に死せるあり。〉の部分が想起される。また、ここに西脇順三郎『旅人かへらず』の末尾〈永劫の根に触れ(中略)/水茎の長く映る渡しをわたり/草の実のさがる藪を通り/幻影の人は去る/永劫の旅人は帰らず〉を思い出してみてもいいであろう。

この「旅人」は、「虹の裏」という容易には手の届かない「向こう側」に位置する、作者の心の内に思い描く憧憬の存在もしくは理想の人物像ということになろうか。座五の「旅人よ」における「よ」の呼掛けがその心情を端的に表していよう。また、短時間ですぐに消え去ってしまう虹の幻想性及び彼岸性が、「古人」や「幻影の人」と同じく過ぎ去ってゆく「旅人」の存りようをそのまま象徴しているようにも思われる。

橋閒石にはこのようなフィクション性を伴った作品が多く見られ、他に〈白魚のまぼろしや傘ひらくとき〉〈蝶になる途中九憶九光年〉〈雲を踏む確かさに居てつくし煮る〉〈階段が無くて海鼠の日暮かな〉〈銀河系のとある酒場のヒヤシンス〉などといった句が存在する。いずれも虚実皮膜の間を自在に往き来するような融通無碍ともいうべき精神の跳梁を示す作品であり、ここに橋閒石の詩法における特徴を見出すことができよう。

橋閒石(はし かんせき)は、明治36年(1903)金沢県生まれ。大正7年(1918)病床で俳書に親しみ句作開始。昭和7年(1932)寺崎方堂に師事。昭和24年(1949)「白燕」創刊主宰。昭和33年(1958)「俳句評論」参加。昭和59年(1984)第7句集『和栲』により、第18回蛇笏賞受賞。平成4年(1992)11月逝去(89歳)平成15年(2003)『橋閒石全句集』。