【10】  海へレール風は晩夏の人影追ひ   武田真二

掲句は若干抽象的な内容ながら「晩夏」の景観を描いたものということになろう。全体としてやや抽象的な印象を受けるのは、少々破調気味である上五「海へレール」の部分において意味内容が一旦切れているという点がまずひとつ、そして、その後に「風は晩夏の人影追ひ」という表現が続くわけであるが、この「風」の擬人化による表現もまた掲句をやや曖昧な印象のものとしている要因であろう。

「海へレール」の部分は、当然線路が海へと続いているという意味になるはずである。そしてそれに続く、晩夏における風が「人影」を追いかけている、という部分についてはやはり多分に主観的な表現ということになろうが、作品行為としては当然このような表現も認められよう。また、これらの「海へレール」と「風は晩夏の人影追ひ」という言葉の関係性からは、まるで自らの存在が「風」そのものと化し線路の上をそのまま海へ向かって一気に駆け抜けてゆくかのような疾走感が喚起されるところがある。眼下を次々と枕木が過ぎ去ってゆき、それに伴い次第に強まってくる海の匂い。そして、彼方には海の細やかな反照が覗き始めている。

しかしながら、晩夏の海は既に人影もまばらで、忍び寄る秋の気配は最早紛れもないものであろう。そして、この「風」が追い求めているのは「晩夏の人影」というよりも、むしろ夏の旺りの頃の海辺の景観の眩さや賑わいということになるのかもしれない。座五の六音の字余りがまるで夏の季節の終りを惜しんでいるかのようである。そして、またその思いというのはおそらく作者自身の胸中のものであり、それを「風」に仮託して表現したものがこの作品なのであろう。結局のところ、掲句は最早戻っては来ない真夏の季節への追憶とその夏の終りの寂寥感を詠んだものということになるはずである。

あまりにも透き通った抒情の世界といった趣きであるが、この作者には他にも〈母の手に露がころがり晩夏なり〉〈坂暑し車輪の影は人無き家〉などといった掲句と似通うような作品が存在する。また、その一方で〈火事美し標本の蝶独り飛ぶ〉〈南風吹く村へ石碑の文字が響き〉〈枯れきつて図書ことごとくイエスの色〉などといった句からは、まさしく紛れもない才気の煥発ぶりが見て取れよう。掲句については、このような才気の迸りを抑えつつもなお尋常一様ではない澄明さと微妙な陰翳を伴った独自の語り口による抒情の世界が創出されており、その点に印象深い思いがするところがある。

武田真二は、昭和23年(1948)生まれ。 昭和41年(1966)、飯田龍太の「雲母」入会。