名のみ知る作家の訃報日記買ふ   吉村昭

ある人が死んだ、名前は知っているけれども、それだけだ。
「日記買ふ」とはいえ、きっとその日記には記されない情報だろう。
だからこそ、切ない。悲しいのではなく、つまり悲しがることもできず、少し切ない。
「作家」であるから、その人が死んだあとも作品は残る。
きっとその作家が生きているうちは、触れたことも触れようと思ったこともない世界に、
死んでから、少し(一句に仕立てるほどに)興味を持つとは、皮肉だ。
近しくない人の死。誰しもが誰かにとって、そういうものとして死ぬのだ。

『炎天』(筑摩書房、2009)より。