【13】  掌にのせて白桃無傷無量光   中島斌雄

「無量光」とは、仏教用語で、阿弥陀仏の無限の光明の意であるとのことである。

掲句は「掌にのせて」という表現から始まっている。この上五が「掌(てのひら)に」といった表現ではなく、あくまでも「掌にのせて」であることから、予め「白桃」が「掌」の上に載せられていたわけではないということがわかる。その後に「白桃」が「無傷」であるという説明表現により、「掌」の上の「白桃」が単なる平凡なものではなく、傷一つない瑞々しく美麗なものであるという印象が付与される。そして、最後の座五に「無量光」という言葉が配されているわけであるが、これは当然意図的な配置であり、ここで作品の空間が一気に現実の世界から象徴の領域へと跳躍することになる。また「無傷」と「無量光」における「む」の頭韻や、子音のウ音とオ音の畳みかけるような音韻の効果もこのイメージの跳躍を補助する役割を果たしていよう。

まず普通の「白桃」の印象から始まり、その「白桃」が「無傷」であるということから清明な印象が加わり、そして最後の「無量光」に到って「白桃」が神々しい光明を放射状に発し、一切が無限の光に覆い尽くされる、といった具合に「白桃」の実在が段階を経て純粋なイメージへと昇華されてゆくわけであるが、この変貌の様子もまた掲句における見所となっている。

思えばこの中島斌雄という俳人は随分と異色の存在で、そもそも俳文学者であり、実作者としての系譜は一応「ホトトギス」系の俳人ということになるのであるが、その句業を見ると一般的な俳人とは相当に隔絶した作品世界が展開されており、最後までひたすら「わが道」を邁進し続けた孤高の俳人といった趣きが強い。

作品としては他に〈月光の底で火となす枯牡丹〉〈雉子の彩雪林を撲つ命がけ〉〈山中に銀河を語る大銀河〉〈鯉裂いて取りだす遠い茜雲〉〈春の月の先へ先へとわが一騎〉〈入寂の谿あふれ翔ち木の葉蝶〉〈原神という蒼き眉宇銀河の刻〉〈天の声灼けんばかりに白い道〉〈エビネラン一角獣をさしまねき〉など、やはり掲句と同じく現実における規定された世界を超克しようとする意志を秘めた作品であり、このように俳句という極小の言語空間において、自らのコスモスとでもいうべき悠久の時空間を創出する営為に専心したのが中島斌雄という俳人であったといえよう。

中島斌雄(なかじま たけお)は、明治41年(1908)東京市生まれ。大正13年(1924)句作開始。昭和3年(1928)「鶏頭陣」同人。昭和5年(1930)「ホトトギス」「馬酔木」参加。昭和16年(1941)第1句集『樹氷群』。昭和21年(1946)「麦」創刊。昭和24年(1949)第2句集『光炎』。昭和29年(1954)第3句集『火口壁』。昭和48年(1973)第4句集『わが噴煙』。昭和54年(1979)第5句集『肉声』。昭和56年(1981)第6句集『午後』。『現代俳句の創造』。昭和63年(1988)逝去(80歳)。平成2年(1990)『中島斌雄全句集』。