【17】  ゆく雁やひたすら言語(ラング)たらんとして  小川双々子

掲句における「言語(ラング)」とは、スイスの言語学者フェルディナン・ド・ソシュール(1857~1913)の創出した「ラング」という概念を踏まえた表現ということになるはずである。

ソシュールは言語を考察するにあたって、通時言語学と共時言語学、ラングとパロール、シニフィアンとシニフィエ、などといった二分法的な概念を用いた。まず、「ラング」とは、言語共同体において共有される社会的な体系としての言語のことを指し、それに対する「パロール」の方は、個人が生み出す具体的な言語の意となる。

「ゆく雁」は、春に日本からシベリアの方面へと渡ってゆく雁のことで、春の季語である。当然ながら、この季語は歳時記に記載されているものであり、云うなれば社会的に共有されている言語ということになる。このようにみると、この「ゆく雁」という季語は、まさに「ラング」の範疇に属する言葉であるといえよう。

また、思えば「雁」は当然ながら、単独ではなく群れをなして飛ぶ習性がある。群れをなす「雁」と、社会的な言語体系である「ラング」。この集合体としての類縁性も掲句を読む上におけるポイントといえよう。そして、さらには、「雁」の群れで飛ぶ様子は「雁字」という言葉もあるように、時としてまるで文字を形作っているかのように見えることがある。この点もまた「言語(ラング)」との類縁性が認められるものであろう。

ソシュールの講義内容を纏めた『一般言語学講義』には、人の思考について〈言語の出現以前には、判然としたものは何一つない〉という指摘がなされている。結局のところ、人間にとって事物や概念を認識するための手段というものは、遂に言葉以外には何一つ存在しない、ということになるのであろう。そして、おそらく掲句もまた、このような両義性を伴う言語による世界認識というものが一つのテーマとして作品の根幹に布置されているのではないかと思われる。

小川双々子はクリスチャンであったという。ならば、当然『新約聖書』の「ヨハネ伝福音書」第一章における〈太初(はじめ)に言(ことば)あり、言は神とともにあり、言は神なりき。この言は太初に神とともに在り、万の物これによりて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。之に生命あり、この生命は人の光なりき。光は暗黒(くらき)に照る、而して暗黒は之を悟らざりき。〉という言葉の存在を知らなかったはずはないであろう。

掲句は、小川双々子の最晩年における作品である。思えばこの俳人の句業とその軌跡は相当に特殊で、その全貌を俯瞰してみれば、前出の『新約聖書』における「言(ことば)」や、また「言語(ラング)」などといった語の存在からも端的に窺えるように、言葉とその働きにひたすら思念をめぐらし、営々と俳句形式内において試行を重ね、最後まで真摯に言葉と向かい合い続けた、まさに類稀なる作家精神の所産による、明暗及び幽明の境を悠揚と浮遊するかのような独自の作風と境地を示すものであったということが理解できるはずである。

小川双々子(おがわ そうそうし)は、大正11年(1921)岐阜県生れ。昭和17年、「馬酔木」に投句、加藤かけいに師事。昭和30年(1955)、「天狼」同人。昭和37年(1962)、『幹幹の声』。昭和38年(1963)「地表」創刊。昭和44年(1969)、『くろはらいそ』、『命命鳥』。昭和50年(1975)、『あゐゑ抄』、『憂鬼帖』。昭和57年(1982)、『囁囁記』。平成2年(1990)、『小川双々子全句集』。平成9年(1997)、『異韻稿』。平成15年(2003)、『荒韻帖』。平成18年(2006)、逝去(83歳)。