【22】  芹といふことばのすでにうすみどり   正木浩一

「芹」は、田の畦や湿地に自生するセリ科の多年草である。春の七草の一つで、俳句では春の季語ということになる。

掲句において漢字が使用されてるのは「芹」のみで、他は全て平仮名による表記となっている。「言葉」ではなく「ことば」、「薄緑」ではなく「うすみどり」といった表記からは、それこそ「芹」の柔らかな質感と薄緑の淡い色彩感覚が、そのまま感取できるようなところがある。

もしこれが漢字をいくつも交えた「芹といふ言葉のすでに薄緑」といった表記を採っていたならば、前述のような感覚が喚起されることはまずありえなかったであろう。平仮名の作用によって、言葉の意味がゆっくりと意識下へ投影され、それに伴い「芹」の「うすみどり」のイメージが茫洋と広がってゆく、ということになるようである。

思えばこの作者には、掲句のように色彩感覚に秀でた作品が、他に〈白藤に人来るまでの刻淨き〉〈海に降る雪を想へり眠るため〉〈身の内を真青に蟬の殻出づる〉〈どこからがみどりどこからが葱の白〉〈奥山に朱き蕨のありぬべし〉〈むらさきを秘色としたり百日紅〉〈うす粥の箸にかからぬ櫻かな〉〈ちる櫻白馬暴るるごとくなり〉〈丹頂の紅一身を貫けり〉など少なくない。これらの句に見られる色彩感覚の豊かさというものは、水原秋櫻子の〈来しかたや馬醉木咲く野の日のひかり〉〈金色の佛ぞおはす蕨かな〉〈瑠璃沼に瀧落ちきたり瑠璃となる〉〈山茱萸にけぶるや雨も黄となんぬ〉〈瀧落ちて群青世界とどろけり〉といった原色を駆使する手法を淵源とするものであるのかもしれない。

また、「馬醉木」といえば、「外光に溢れた作風」といった印象があるが、正木浩一には〈一条の光や蜂となりて過ぐ〉〈千年の闇の涼しき仏の手〉〈屋根裏の闇密々とはたた神〉〈仏には暗き金色冬の鵙〉〈まぶしくて目のあけられぬ蕗のたう〉〈裡からの光に開き白木蓮〉〈消して灯のしばらく明し鉦叩〉〈芹つむや光あそべる橋の裏〉〈純白を重ねてくらし雲の峰〉〈刃のごとき地中の冬芽思ふべし〉〈蕗のたう地中に珠をかがやかす〉〈明滅の滅を力に螢飛ぶ〉などといった「光と影」の関係性を描いた作品がいくつも存在する。

掲句についても、このような作品傾向と若干近しい性質を見出すことができるのかもしれない。改めて掲句を読んでみると、「芹」という言葉によるイメージが意識下のくらがりにおいて、それこそ「うすみどり」の光彩を発しているかのように思われてくるところがある。

正木浩一(まさき こういち)は、昭和17年(1942)生まれ。昭和47年(1972)、「沖」へ投句。平成元年(1989)、句集『槇』(ふらんす堂)。平成4年(1992)、逝去(49歳)。平成5年(1993)、『正木浩一句集』(深夜叢書社)。