【28】  荒星や毛布にくるむサキソフォン   攝津幸彦

光と韻き。掲句から感じられるのはまずこのような印象となろうか。「荒星」とは、冬の星を意味する季語である。当然のことながら、冬の星座は透徹した空気の中鋭く強い輝きを伴って眼に映る。

上五に「冬星」や「凍星」、「寒星」などではなく、この「荒星」という強い語調を伴う言葉が使用されているが、これはやはり意図的な選択と見ていいであろう。そして、そこに「サキソフォン」が取り合わせられている。サキソフォンは、真鍮製の管楽器で、別名サックスともいう。ここからは、「荒星」の荒涼たる輝きと「サキソフォン」の金属製のフォルムが、それこそまるで遠く共鳴し韻きあっているかのように感じられるところがある。

管楽器の俳句といえば〈冬森を管楽器ゆく蕩児のごと 金子兜太〉〈どれも口美し晩夏のジャズ一団 金子兜太〉あたりが想起されるが、掲句ではここに「毛布」が登場してくる。こういったところが攝津幸彦の作風におけるひとつの特徴ということになるのであろう。単に「サキソフォン」の形状の格好の良さや、人の手で演奏されている状態をそのまま描き出すのではなく、「毛布」という日常性の強い事物を搬入することによって、一句の内に微妙なはぐらかしを生じさせている。

「サキソフォン」を「毛布」に「くるむ」のは、引っ越しのためであろうか。それとももしかしたら旅の途上ということになるのかもしれない。満天の冬の星空の下、毛布で梱包されたサキソフォンがトラックの荷台などに揺られながらどこかへと搬送されてゆくイメージが浮かんでくる。

攝津幸彦の俳句には一貫して「ここではないもうひとつの場所」への憧憬が内在しているように思われる。掲句にしてもそうであるが、他には〈曙や屋上の駅永遠に〉〈天の川死につゝ渡る役者かな〉〈生き急ぐ馬のどのゆめも馬〉〈舶来の時計が欲しき実朝忌〉〈露地裏を夜汽車と思ふ金魚かな〉〈十五夜の潜水艦は水の中〉〈永遠にさそはれてゐる外厠〉〈それとなく御飯出てくる秋彼岸〉〈遠ざかる子がゐていつも夏帽子〉〈糸電話古人の秋につながりぬ〉など、やはり今現在の「ここ」に主軸が置かれているというよりも、どこかしら「別の世界」の存在を予感させるようなところがある。

〈恥ずかしいことだけど 僕はやっぱり現代俳句っていうのは文学でありたいな、という感じはあります。〉という本人の発言(『恒信風』第3号 1996年)が残されているが、攝津幸彦という作者が単なる言葉遊びだけの俳人ではないということは、この発言のみならず、その作品内容からも明らかであろう。

攝津幸彦(せっつ ゆきひこ)は、昭和22年(1947)、兵庫県生まれ。昭和43年(1968)、伊丹啓子を知り、関学俳句会を創立。機関誌「あばんせ」創刊。昭和44年(1969)、「日時計」創刊。昭和48年(1973)、第1句集『姉にアネモネ』。昭和50年(1975)、高柳重信編集の「俳句研究」において「五十句競作」入選。昭和51年(1976)、第2句集『鳥子』。昭和52年(1977)、第3句集『與野情話』。昭和55年(1980)、同人誌「豈」創刊。昭和61年(1986)、第4句集『鳥屋』、第5句集『鸚母集』。平成4年(1992)、第6句集『陸々集』。平成8年(1996)、第7句集『鹿々集』、10月逝去(49歳)。平成9年(1997)、『攝津幸彦全句集』(第8句集『四五一句』を含む)。平成11年(1999)、『俳句幻景』。