2012年1月2日

能登にあるモーゼの墓に参らむか

オカルト好きな人には知られたことなのだろうが、能登半島にモーゼの墓というのがあるらしい。
ネットで引いてみると「国道159号線の押水町(おしみずまち)河原を宝達山(ほうだつさん)の方へ曲がってほんの少し行った所にある」とのことだ。今は整備され公園になっているという。
旧約聖書の預言者がいきなりひどく卑近になってしまい、胡散臭さ満点である。
海を割ったり、民族の移動を導いたりした古代イスラエルの指導者の墓が、「押水町(おしみずまち)河原を宝達山(ほうだつさん)の方へ曲がってほんの少し行った所」とはいったい何ごとであろうか。
くり返しますが、モーゼですよ、モーゼ。

荒巻義雄は、個人的にはどうでもいい作家ではなく、一応愛読してきた作家である。
『神聖代』『柔らかい時計』ほか、美術や建築の知識を生かした初期の幻想SF十数冊に限れば、その別世界構築力とイメージ喚起力は類例のないものであって、この辺だけは国書刊行会なり創元文庫なりがまとめて復刊すべきではないかとすら思う。
しかし長大な伝奇ものを書くようになってから、だんだん様子がおかしくなってくる。
この『「能登モーゼ伝説」殺人事件』の頃になると、作者の分身と思しき主人公が、超古代ロマンをひたすら語りつつ旅行することが主になっていて、さらになぜか行く先々で異性にもてる。「殺人事件」や何かはほとんどつけたしなのではないかという話が増えてくるのだ。
なので人に薦める気には特にならないのだが、長年のファンとしては、この辺も手に入れば一応読む。
娯楽小説としてはバランスが変だが、別に悪い意味ではなく、「目出度い」という雰囲気もあるので、そこが救いである。
上の句と合わせて、同工異曲のこんなのも作った。

戸来(へらい)村のイエスの墓に参りけり

青森県の戸来には「イエスの墓」もあるのである。
「へらい」は「ヘブライ」が訛ったものとも言われているらしい。
大学のとき、後輩の男がこの「イエスの墓」に参りに行くと言っていたことがあったが、結局本当に行ったのかどうかは聞かずじまいになってしまった。
ちなみに句の季語は「墓参り」である。


*荒巻義雄『「能登モーゼ伝説」殺人事件』講談社文庫・1993年