【32】  天上も淋しからんに燕子花   鈴木六林男

「燕子花」から想起されるのは、やはり尾形光琳(1658年~1716年)の「燕子花図屏風」ということになろう。この光琳の「燕子花図屏風」は『伊勢物語』の第9段「八橋」をモデルとして描かれたものであるという。

掲句に描かれている世界は、それこそ『伊勢物語』の時代、尾形光琳の時代、そして「燕子花」を眼前に眺めている現在、といったように、いつの時代であってもさほど違和感のない内実を有している。また、「天上」と「燕子花」という言葉の関係性からは、まさしく「幽玄」の世界といった趣きがそのまま感じられるところがある。

「天上も」という表現ゆえ、ここでは反語的に「地上」も「淋し」いと観じていると見ていいであろう。また、「杜若」ではなく「燕子花」という漢字表記が用いられているが、これは意図的な選択ということになるはずである。この「燕」の文字から連想されるのは、「翼」の存在ということになろう。この地上において、燕の翼を思わせる紫の花弁を持つ「燕子花」と、翼のない自らの存在。ここに表出されているのは、例えもし翼を有していたとしても、地上での日々と同じく本然的な「淋し」さからは決して逃れ得ないであろうという一種の諦観であるのかもしれない。

思えば、昭和24年(1949)に刊行された鈴木六林男の第1句集の名は『荒天』であった。掲句はこの『荒天』から約22年後である昭和46年(1971)の作であるが、ここには戦中、戦後という『荒天』の時代を経た後における空虚さといったものが、ただ茫漠と広がっているだけのようにも思われる。

また、「天上」はそのまま「天」そのものと見る以外に、死者たちの集う「あの世」として解釈することも可能であろう。中七に助詞の「に」が使用されており、この「に」の存在が、「天上」と「地上」、「あの世」と「この世」の双方を繋ぐ役割を果たしている。「この世」の「淋し」さと共に実感される「天上」の世界の「淋し」さ。作者が戦中派であることを考えると、この思いは一層苦い。やはりこの句には、人という存在そのものが宿命的に抱え込んでいる悲しさや「淋し」さといったものが色濃く漂っているといえよう。

しかしながら、掲句における「燕子花」は、そういった空虚さなどとは無関係に、ただひたすら幽玄さや美しさを湛えているだけのようにも思われる。ただ、その美しさというものが、この「淋し」さに満ちた両方の世界における一抹の救いであるように思われる、というのも事実であろう。

鈴木六林男(すずき むりお)は、大正8年(1919)大阪府生れ。昭和10年代、「京大俳句」「琥珀」などに投句。昭和21年(1946)、「青天」創刊。昭和23年(1948)、西東三鬼に師事。昭和24年(1949)、第1句集『荒天』。「雷光」「梟」「夜盗派」「風」を経て、昭和30年(1955)「天狼」参加。同年、第2句集『谷間の旗』。昭和32年(1957)、第3句集『第三突堤』。昭和46年(1971)、「花曜」を創刊主宰。昭和50年(1975)、第4句集『桜島』。昭和52年(1977)、第5句集『国境』。昭和53年(1978)、第6句集(未完?)『王国』、『鈴木六林男全句集』。昭和56年(1981)、第7句集『後座』。昭和60年(1985)、第8句集『悪霊』。平成6年(1994)、第9句集『雨の時代』。平成11年(1999)、第10句集『一九九九年九月』。平成16年(2004)、逝去(85歳)。平成20年(2008)、『鈴木六林男全句集』(草子舎)。