【33】  谺して山ほととぎすほしいまゝ   杉田久女

の中心をなしているのは「山ほととぎす」ということになる。「山ほととぎす」は、字義通り山に棲息するほととぎす、もしくは山から来るほととぎすのことを意味する。また、それ以外に単にほととぎすそのものを指すとのことである。

ほととぎすは、そもそも古来より和歌に数多く詠まれてきた風物であり、日本には5月上旬の初夏の頃に渡来するため、夏の季節の到来を告げる鳥とされてきた。ゆえに、季語としては夏の季節のものということになる。また、このほととぎすは古来より冥土からの使いとも考えられてきたとのことである。

山の中を「ほしいまま」に鳴き渡るほととぎすの姿。ここからは「山ほととぎす」という小さな存在が、それこそまるで山という大きな空間を統べる主であるかのように思われてくるところがある。微小な一点から発せられ、広域な範囲へと波状に拡散してゆく「谺」の力強さ。この「谺」という語と「山ほととぎす」という言葉の関係性からは、それこそ自然界における霊性とでもいっていいような神々しい雰囲気が感じられるところがある。

また、掲句は全体的に母音のア音とオ音が基底となっており、それに加えて、子音のマ音とホ音の重畳が、独自の無駄のない韻律を形成する結果となっている。

気高さ。杉田久女の作品の内側に張りつめているものはこの要素であろう。掲句にしてもそうであるが、他にも〈水暗し葉をぬきん出て大蓮華〉〈葉洩日に碧玉透けし葡萄かな〉〈羅に衣(そ)通る月の肌かな〉〈星の竹北斗へなびきかはりけり〉〈板の如き帯にさゝれぬ秋扇〉〈紫の雲の上なる手毬唄〉〈鶴舞ふや日は金色の雲を得て〉〈蘆の火に天帝雨を降(くだ)しけり〉〈張りとほす女の意地や藍ゆかた〉〈道をしへ一筋道の迷ひなく〉など、格調の高い作品が数多く見られる。

まさに孤高の精神の持主という他なく、その硬質な美意識からは、〈花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ〉〈菊の日に雫振り梳く濡毛かな〉〈野菊やゝ飽きて真紅の花恋へり〉〈ぬかづけばわれも善女や仏生会〉〈藁づとをほどいて活けし牡丹かな〉〈かざす手の珠美くしや塗火鉢〉〈首に捲く銀狐は愛し手を垂るゝ〉〈風に落つ揚貴妃桜房のまゝ〉〈下りたちて天の河原に櫛梳り〉〈乗りすゝむ舳にこそ騒げ月の潮〉〈春光や塗美しき玉櫛匡〉〈美しき神蛇見えたり草の花〉〈温室ぬくし女王の如きアマリヽス〉などといった絢爛たる作品が生み出された。

結局のところ、これらの作品からも明らかなように、杉田久女という作者は、それこそ「女帝」としかいいようがないところがある。それ以外に詳しい説明は不要であるのかもしれない。まさに類い稀なる資質を有した貴種といえよう。

杉田久女(すぎた ひさじょ)は、明治23年(1890)、鹿児島県生まれ。大正5年(1916)、句作開始。昭和5年(1930)、大阪毎日、東京日日新聞社主催、日本新名勝俳句(選者 高浜虚子)に入選。昭和7年(1932)、俳誌「花衣」創刊。昭和9年(1934)、「ホトトギス」同人。昭和11年(1936)、「ホトトギス」同人を除籍される。昭和21年(1946)、逝去(57歳)。昭和27年(1952)、『杉田久女句集』。