【35】  海を出て四億年の暮の秋   矢島渚男

人間の身体の内部は、海の世界とそっくりであるという。芸術学者である布施英利に次の言葉がある。

養老先生のもとで初めて実際に解剖をしていちばん驚いたのは、亡くなったばかりの人の内臓の色の鮮やかさでした。黄色や紫や赤が目に飛び込む、まさに総天然色なんです。(……)それからずいぶん経った後に、ダイビングを始めました。珊瑚礁の海に潜ってナマコを見ていたら、それがまた凄い色をしている。青や黄色や紫の鮮やかな色。なんだこれは内臓と同じじゃないか、と気づいた。ナマコや珊瑚礁の世界を全部からだの内側に取り込んだものが内臓なんだと。(「三十数億年の生命の記憶」より 『考える人』2003年春号)

地球上に生命が誕生したのは、今からおよそ40億年前といわれている。最古の原始生物から、やがて光合成を行う生物(植物)が発生し、さらにそこから原生動物(動物)が誕生した。この原生動物の誕生は今から6億年~8億年程前のことであるという。そして、そこから魚類へと進化し、さらに両生類となり「海」から陸へと「出て」いったのが、掲句の示す通り「四億年」前ということになる。

上陸後、爬虫類、恐竜、哺乳類、鳥類などへと進化を続け、人類の祖先である類人猿が登場したのが今から500万年~600万年程前。そして、その我々の祖先が火や言葉を使い始めるようになったのが、およそ180万年程前のことであるという。

掲句の季語「暮の秋」は、秋の終りの頃のことを意味する。海を出てからおよそ4億回目の秋の終り。自然界における四季の気の遠くなるような繰り返しの果てに、現在、実際に存在しているのが自らをも含む人間の存在ということになる。それこそ当たり前の事実であるわけであるが、改めて考えてみるとその驚異性に圧倒されるところがある。

この作者は基本的に自然詠を主とする俳人であるが、時として掲句のように長大な時間性を伴う作品が〈太初より昼と夜あり螢狩〉〈年暮るる芭蕉蕪村のうしろから〉〈地層より出て夜長の卓に鸚鵡貝〉〈一日づつ消して銀河の裏へ行く〉〈船のやうに年逝く人をこぼしつつ〉〈雲の峰過去深まつてゆくばかり〉〈秋冷の琥珀に入りし翅(はね)きはやか〉〈天狼の絶滅はまだ寒旱〉〈滅びたる狼の色山眠る〉〈流星やいのちはいのち生みつづけ〉など、いくつか見られる。

また、この視点は、はるかな過去のみならず現在の世界へも向けられる。〈半分は寒き地球や旅鞄〉〈朧にて世界史上に老兆す〉〈石と化せぬジェノサイド紀の草の花〉〈渡り鳥人住み荒らす平野見え〉〈明易き絶滅鳥類図鑑かな〉〈短日や西へ灯す秋津島〉〈草蟬の草地に深し不発弾〉〈それぞれに秋燃え文明が燃える(前書「アルカイダ・テロ」)〉〈戦争がはじまる野菊たちの前〉〈人類は猛くて脆し鳥帰る〉などがその作品にあたる。

ここに見られるのは、自然(世界)や人間存在の内に貫流する普遍的な実相を深く見据えようとする意志の存在であろう。また、それは只今の現在のみを絶対視してこの世界の在りようをただ平板に眺めるのではなく、「時間の流れ」の外に身を置き、重層性(歴史性)を有すこの世界の様相を別の視点から概観しようとする態度とでもいえようか。

掲句も含むこれらの作品を眺めていると、それこそこの現在という時間もまた「神話の世界」の一頁であるように思われてくるところがある。

矢島渚男(やじま なぎさお)は、昭和10年(1935)、長野県生まれ。昭和32年(1957)、「鶴」投句、石田波郷に師事。波郷没後「寒雷」を経て、「杉」同人。昭和48年(1973)、第1句集『采薇』。昭和60年(1985)、第2句集『木蘭』。昭和62年(1987)、第3句集『天衣』。平成2年(1990)、第4句集『梟』。平成6年(1994)、第5句集『船のやうに』、「梟」創刊。平成11年(1999)、第6句集『翼の上に』。平成14年(2002)、第7句集『延年』。平成19年(2007)、第8句集『百済野』。