【40】  月よぎるけむりのごとく雁の列   大野林火

大野林火といえば、やはり抒情的な作風の作者といった印象が強い。掲句にしても「月」と「雁」による景観を描出したものであるゆえ、なんとも抒情的な内容となっている。

「月」と「雁」による内容の句は、それこそ幾らでも存在する典型的なものであるが、ここでは「けむりのごとく」という比喩がなんとも非凡である。この比喩の作用によって、「雁の列」が「けむり」のように影をなして「月」の前を通り過ぎてゆく様子がそのままイメージされ、さらにはその「雁の列」の一羽一羽の羽撃きの細やかさまでもが目に浮かんでくるところがある。

大野林火といえば、やはり即座に想起されるのが〈ねむりても旅の花火の胸にひらく〉であるが、この句もまた非常に抒情的である。ただ「花火」そのものをそのまま直接描いているというわけではなく、近い過去の出来事を追憶するというかたちで表出されている。

「月」と「雁」、胸中にひらく「旅の花火」。いずれも日本の風土の原郷とでもいうべき記憶を喚起するものといえよう。そして、このような「原風景」ともいうべき予め規定された「典型性」への追憶が、この作者の作品の基底を成しているように思われる。

例えば、他に〈あけがたやうすきひかりの螢籠〉〈蝸牛虹は朱(あ)ヶのみのこしけり〉〈つなぎやれば馬も冬木のしづけさに〉〈夕永きひかりの街へ画廊出づ〉〈ゆきかきにひかげのゆきのゆふめきつ〉〈まんじゆさげ暮れてそのさきもう見えぬ〉〈寒雁の翅に暮色は重からずや〉〈流燈のあと月光を川流す〉〈夕日いろに海月船宿の裾へ寄る〉〈大綿や昔の日ぐれむらさきに〉などといった句があり、いずれも「蛍」、「虹」、「夕」、「流燈」などが描かれており、やはり過去の原郷的な記憶を想起させる性質、即ち抒情性を有した作品といえよう。

しかしながら、これらの句をよく見てみると、どの作品も抒情的な内容でありながらも、ただ単純なかたちで抒情性を表出した句ではないということがわかるはずである。掲句にしても前述の通り「月」と「雁」の形式通りの描写ではなく、「旅の花火」の句にしても「旅の花火」を直に描出したものではない。また他の句も、「螢籠」、「虹」、「馬」、「夕(暮色)」、「寒雁」、「流燈」などが詠まれているわけであるが、やはりこれらの事象を単にそのままストレートに描いているのではなく、それぞれに工夫を凝らした叙法によって表現されていることが理解できよう。

このように見ると、大野林火の作品には、単に抒情性へとその一切をそのまま委ねてしまうのではなく、抒情性を基底としつつも、その中において如何に常凡な語り口に陥ることなく作品を表現し得るかといった指向性が内在しているように思われる。そして、その指向性が、大野林火の作品をただの抒情性の枠内のみにとどめておくことなく、それを超越した地点での高い水準による成果を示す結果となっているといえるはずである。

大野林火(おおの りんか)は、明治37年(1904)、横浜生れ。大正9年(1920)、句作開始。大正10年(1921)、「石楠」入会。昭和14年(1939)、第1句集『海門』。昭和15年(1940)、第2句集『冬青集』。昭和21年(1946)、「浜」創刊。第3句集『早桃』。昭和23年(1948)、第4句集『冬雁』。昭和28年(1953)、「俳句」編集長、第5句集『青水輪』。昭和33年(1958)、第6句集『白幡南町』。昭和40年(1965)、第7句集『雪華』。昭和44年(1969)、第8句集『潺潺集』。昭和49年(1974)、第9句集『飛花集』。昭和54年(1979)、第10句集『方円集』。昭和57年(1982)、逝去(78歳)。昭和58年(1983)、遺句集『月魄集』、『大野林火全句集上下』。平成5年(1993)~平成6年(1994)、『大野林火全集』全8巻。